新聞の行方、生き残れるのか?

岡本 裕明

先日東京に行った際、地下鉄で久々に新聞を読んでいる人を見かけました。久々です。(私が通勤時間帯に電車に乗らないこともあるのでしょう。)小説を読んでいる人は多いのですが、雑誌や漫画を読んでいる人も見かけません。

ずいぶん前ですが、若い方々になぜ新聞を取らないのですか、と聞いたところ「捨てるのが面倒くさい」と言われたことがあります。新聞、雑誌、週刊漫画は捨てる対象故にネットに切り替わったものの小説はキープする人が多いこと、あるいは図書館で借りている方もいるのでしょう。書籍としての価値があるとみることもできそうです。

その凋落する新聞。その発行部数を調査しているABCによると、ちょっと古いですが、今年の4月時点で読売806万部、朝日560万部、毎日240万部、日経230万部、産経140万部となっています。これには夕刊も入っているのですが、「押し紙」と「積み紙」と称するものも入っています。「押し紙」とは新聞社が販売店に押し付けたもの、「積み紙」は販売店が折り込み広告主から発行部数に応じて広告料を貰うために部数割り増しをする裏付けとして販売先がないのに盛っている(あるいは販売店に積んでいる)新聞のことを言います。

例えば沖縄は沖縄タイムズと琉球新報という2大新聞がありますが、その両者の発行部数を足すと沖縄の世帯数65万の過半数を超す33万部程度あるとされます。あり得ない数字で押し紙や積み紙が相当あるとされています。

ちなみに沖縄における全国紙トップは日経で5500部程度、あとは朝日が1000部程度、読売700部台、毎日と産経が200部台と桁が2つ下がります。沖縄の場合、タイムズも新報も似たような思想の新聞で同紙への批判は一切受け付けず、県民を完全にコントロールするプロパガンダ新聞のようなものであります。

押し紙については全国紙も当然多いはずですが、朝日新聞もかなり多いとされ2割以上は盛っているとされます。雑誌の発行部数は公称の半分と思え、というのは私が新聞、雑誌の広告を打っていた時代に聞かされていた言葉です。では広告主から見て効果はどれだけあるのか、といえばなかなか期待しにくいところではないかと思います。

そんな中、読売は「広告新聞」のようなものですが、その多くを占める高齢者向けの通販などの広告は一種のターゲットマーケティングであり、確かに一定の効果はあるかもしれません。あるいは雑誌などが発売日に目次を載せるのも購入意欲を掻き立てるにはよいでしょう。

ターゲットを絞った広告以外にエディトリアル(主義主張などを一面全面広告などで短文を通じて広く訴えるもので海外では政府などを含めかなり頻繁に使われる手段です。)は効果があるでしょう。新聞広告そのものがマスマーケティングであり、現在のウェブ広告に見られるターゲットマーケティングからすると劣化する手法で効果がさほど上がらず、広告主も腰が引けてくるのではないかと思います。

とすればあとは購読料を取れる内容勝負になります。

朝日新聞7月9日朝刊より(編集部撮影)

朝日新聞7月9日朝刊より(編集部撮影)

この内容勝負で最近チョンボしたのが朝日新聞でハンセン病家族との訴訟に関して「政府は控訴して高裁で争う方針を固めた」とする報道です。ご存知の通り、政府は控訴をしなかったわけで朝日の完全なる誤報ですぐにお詫びが入りました。

ただ、その言い訳は政治部や社会部など4部門が取材にあたり、しかるべき幹部ルートからの情報を踏まえて控訴すると同新聞社は判断した、というのです。

これは日経がやるチョンボ記事と違い、朝日が編集を中心に一生懸命頑張って取材して、考えて、社内判断して「控訴する」と思ったわけです。

朝日新聞はクオリティペーパー(高級紙)になりそこなった新聞と言われています。確かにインテリ層によく読まれた新聞であり、悪くはなかったはずです。しかし、ここ数年の朝日は安倍政権への敵対心むき出しで「反安倍」のための新聞となってしまいました。

高級新聞に求められるのは記事の深さであります。その深さは事案ごとに掘った結果分かるべきであって初めから色がついている(結論が出ている)と記事そのものが面白くないわけです。犯人が分かっている推理小説のようなものでしょうか?

確かに新聞には思想的に右、左という分け方をします。読み手が心地よく読めるからでしょう。しかし、思想をベースに新聞社経営をすると必ず部数の行き詰まりが起きます。それは中間層を取り込みにくくなるからです。今多くの若者や3-40代は思想の色は薄いと思います。事案ごとに考えるでしょう。なのに新聞社は経営というより主義主張の色が濃く出過ぎてしまったような気がします。

新聞社経営が異様に難しくなったことは事実です。多分、そろそろ合併劇が始まってもおかしくないと思います。地方紙は大手の傘下で記事の配給を受ける形でリストラすべきでしょう。

世の中、すべてがネットに代わることはありません。当然、紙の新聞もまだまだ必要とされるはずですが、その前に経営が成り立たなくなります。新聞社を経営したいのか、主義主張にこだわり続けるのが良いのかそろそろ考える時期に来ているのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年7月15日の記事より転載させていただきました。