働き方改革も選挙も結構ですが、俺の話も聞いてくれ!

写真は、FC岐阜社長時代の美人秘書(^ ^)と試合終了後に、スタジアムを一周している様子です。また、ALS患者であるふなごやすひこさんが出馬をして話題になっています。

最近、ちまたでは働き方改革が声高に叫ばれ、労働時間の短縮や業務の効率化が推進されています。効率化は結構な話ですし、労働者の権利は守られるべきですし、過労死など絶対あってはなりません。

しかし、批判を覚悟で申し上げますが、世の中にはもっと働きたくてしょうがない人もいるし、働く事で救われる人もいるのです。現に私がそうでした。

私は2014年の2月にFC岐阜の社長になるために、千葉県から単身赴任で岐阜の実家に転がり込み、4月に社長に就任します。そして、そのわずか1ヶ月後にALSと診断されます。

その時、私は迷う事なく世間に公表しないことを決断します。表向きの理由は、ラモス監督を迎えて岐阜県全体が盛り上がってるところに、水を差したくないといったところでしたが、本当の理由は、社長の椅子を奪われるのが怖くて仕方がなかったからです。

FC岐阜の社長という仕事は、私にとってあまりに楽しすぎました。あのまま社長としてなんの実績も残さずにALSを公表すれば、社長を解任されるのは必然でした。しかしALSは療養に専念しても決して治る病気ではありません。もしあの時仕事を奪われていたら、家族と離れ離れの状態で実家に閉じこもり、気が狂っていたかもしれません。

その後私は、文字通り馬車馬のように働きました。社長1年目で丸一日休んだのは2、3日です。とにかく仕事が楽しかったのです。仕事をしている間はALSの事を忘れられました。また、これだけ休みなく働いても風邪一つひきませんでした。

こうして、観客動員数や、スポンサー数などの大幅な増加という結果を引っさげて、ALSである事を公表し、周りが納得の上で社長続投の切符を手にします。

しかし、社長2年目には苦難の道が待っていました。ALS進行によってどんどん呂律が回らなくなり、社員とのコミュニケーションがとれなくなっていったのです。私は、「仕事=コミュニケーション」と考える人なので、これは致命的でした。

結果として、2年目のシーズン終了時点で社長退任を余儀なくされました。私はALSに天職を奪われたのです。悔しくて、悔しくて、悔しくてなりませんでした。1ヶ月ほど抜け殻状態でした。

しかし、どうしても仕事をするのを諦めきれず株式会社まんまる笑店を設立します。私にとって仕事とは、社会と繋がり、人の役に立ち、自分を磨くという、一石三鳥のかけがえのないものです。

現在は、LGBTの方たちなど、マイノリティの権利が保護される時代です。それならば、私の様にもっと働きたい「仕事馬鹿」というマイノリティの権利も保護されるべきではないでしょうか?

政治家の皆様、健常者の労働時間を短縮するのなら、余った仕事を障害者に下さい。そして、障害者が仕事をできる様に、ヘルパーさんが仕事の介助もできるよう、法改正をお願い致します。

恩田 聖敬


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2019年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。