新井紀子氏が朝日とTBSで主張「日本人の低い読解力」は本当か?

田村 和広

新井紀子氏(文科省サイトより:編集部)

数学者で国立情報学研究所教授の新井紀子氏が、あろうことか偏向報道が観測される朝日新聞とTBSサンデーモーニングに相次いで登場し、「日本人の読解力の低さ」を訴えている。

しかし主張が誤謬の領域に踏み込んでいるので異論を唱えたい。なお、「読解力」を厳密に定義しようとすれば、それだけで小論文になるので今回はしない。

朝日新聞

7月28日の朝日新聞に、「AIに負けぬ読解力を」という見出しで新井氏へのインタビューが掲載された。

『教科書くらいは読めるはず』という前提を一度捨てて、どうすれば教科書を読めるようにして生徒たちを卒業させることができるのか(中略)子どもたちが次の時代に安心して生きていける道筋をつけてあげたい。

(7月28日朝日新聞朝刊4面「シンギュラリティーにっぽん」、太字は筆者)

TBS

7月7日TBSにおいて新井氏は次の通り語った。

この3年間で基礎的読解力の調査っていうのを小学校6年生から成人まで8万人くらいにしてきたんですね。その結果、非常に簡単な短い事実について書かれた文を多分ですね、高校生の半分は読めずに卒業しているらしいことがわかっているので、選挙公報とか、マニフェストとかを読めるのかな?っていうことの方が余程不安で、読めなければ、雰囲気に流されるので。雰囲気に流されるのでは実は民主主義ではないので、「読めて欲しいな」っていう、そこですね、私の実は心配は。

(TBSサンデーモーニング7月7日放送回、筆者文字起こし。太字も筆者)

新井紀子氏の主張の根拠

新井氏は常々、自身が推進している読解力測定試験(RST)の研究結果を根拠として、「(児童生徒の)読解力が低下している」という認識を示し、読解力が「AI以下」という低水準のままでは「多くの人々がAIに代替されて仕事を失う」という問題提起をしている。

根拠の問題点

RSTの試験問題は、主に「教科書」や「新聞」等から選び、偏りが出ないよう統計処理の観点から慎重に問題を選択しているらしい。試験結果については「教科書の読解力」という限定的な利用ならば、これでほとんど問題がない。しかし、「日本人の読解力が低い」という主張の根拠として結果を使うことには、4つの大きな問題がある。

問題1:試験者側が用意した文を受験者は受動的に読む

受験者が読みたい文を任意に選んで読むのではなく、試験者が選んだ文を受験者は興味の有無に関係なく受動的に読まされる。人間が読解力を発揮する大きな原動力の一つが「興味や好奇心」という要素である。例えば国語の成績が良くない学生でも、SNS上のやりとりやネットワーク型ゲームといった関心の高いテーマの文章ならば高度な読解力を発揮する例は全く珍しいことではない。

しかし受動的に読まされるとき、この部分が欠落していることがある。そのため「この文には興味がなくて気持ちが入らない」という受験者も「読解力がない」受験者と区別できない。

このようにあくまでも素材には「試験者が用意した教科書等の文」という特殊なフィルターがかかっているので、これを以て「日本人は読解力が低い」というのは言い過ぎである。

問題2:素材文自体の問題点

RSTの全問題を詳細に検証できる立場でないので著書等でしか確認できないが、素材として抽出している文には「悪文」が多い。文の構成が下手で読み難く、また文脈から切り出したらわかりにくいだろうと感じるものもある。

さらに、例えば「2で割り切れる数を偶数」と定義している問題もあるが、この定義では「商が整数」という指定がないため、商の範囲を小数まで広げれば、3のような数も偶数と読むこともできてしまう。そこには「商は整数の範囲で」という暗黙の前提があったり、「3は奇数」という常識があったり、単純に「読解力」を測れないような問題も混入している。

数学の思考力が高い柔軟な思考ができる生徒は逆に大いに悩むし、読解力ではなく「出題の意図を忖度」する能力が高い生徒が有利だったりする。このように、素材自体にも「読解力」の判定に適切かどうか議論の余地はあると推定している。

問題3:学校を卒業してからの読解力の伸び

高校を卒業する時点で高校教科書を読めない生徒が半数としているが、社会に出てから就業し社会人として活動する中で人々は学び続けるので読解力も伸びる。著書では触れていたのに、今回の論説にはこの視座がほとんど抜けている。

問題4:特称命題(ある)と全称命題(全ての)の混同

新井氏の言説は、「特定の傾向を持つ一部の存在(特称命題)を以て、全ての存在がその傾向を持つ(全称命題)」というものが多いが、これは致命的な誤謬である。例えば「高校生の半分は読めずに卒業しているので(国民は)選挙公報とか、マニフェストとかを読めるのか?読めなければ、雰囲気に流されるので、実は民主主義ではない」などがそれにあたる。

「高校生」という母集団にバイアスがかかっている一部の調査結果で全体を類推し、それを根拠に「民主主義ではない」とまで言い切ってしまっている。数学者であるならばこれは必ず避けるべき誤謬であり、もし意図的に行っているのならば少なくともテレビにおいては「数学者」の肩書は伏せるべきである。

なぜなら「数学者」という肩書の権威で論理的ではない言説の説得力が高まってしまうからだ。まさか「数学者が論理的でない言説を唱える」とは疑わない。従って、数学者を名乗るならば、たとえ朝日新聞やTBSであっても、「数学語ではなく日常語を語っているから厳密に語る必要がない」ということにはならない。

結論

日々子供達に文章読解を指導している筆者は、以前に比べて日本人の読解力が高くなったとも低くなったとも感じない。他国との対比やAIとの比較でも、「高い」とも言えないし「低い」とも断定できない。殊更に危機感をあおるような論考をするならば、事実に近い実態調査を長期にわたって行い、説得力の高い証拠を提示したうえで慎重に論ずるべきである。

今反省すべきはむしろ、誠の少ないマニフェストや教科書、新聞等の書き手の方である。新井氏は、せっかくの研究を偏向メディアに利用されて誇張することなく、是非誠実な研究者としての道を突き進んで頂きたい。

田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。