文在寅の娘が国士舘大学に留学(反日と日本好き)

八幡 和郎

性格的に問題があるのではないかという気までする文在寅大統領の反日だが、その一方で、本人もその家族も日本文化の愛好者であるということが話題になっている。

シンガポールに家族とともに「移住?逃亡?」などと取りざたされている長女ダヘ氏(36)は、国士舘大学に2年ほど留学していた。保守系とみられている国士舘大学だが、アジアからの留学生は韓国に限らず多いし、彼らから好評でもある。まじめな硬派の大学だというのが、アジアの人に安心感をもってもらっているのかもしれない。ダヘ氏も武道に武道に関心があってのことと言われている。

金正淑(キム・ジュンスク)夫人も裏千家の茶道の愛好者として知られる。G20のレディーズ・プログラムでは、東福寺を訪れて先頭の列で取りなしを期待してか、安倍昭恵夫人となごやかに談笑していた。

文在寅大統領と金正淑夫人(韓国大統領府Facebookより:編集部)

フライデー』によると、長男のジュニュン氏はアニメーター。「中学生の時に日本のアニメにハマり、小遣いをすべてアニメビデオ購入にあてていました。釜山には、日本のアニメを違法コピーしたビデオやアイドルの写真集を安く売る店が、いくつかあったんです。父から小遣いをもらうたびに、バスでそうした店に通っていた文化から強い影響を受けている」「『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督に影響を受けた」などと韓国紙の『京郷新聞』のインタビューに答えているそうだ。

同誌が、文氏の経費(2017年5月~2018年8月)を調べたところ、寿司店だけで473回、合計約632万円を使っていたそうだし、三島由起夫や雨宮処凛の愛読者だそうだ。

だから、文在寅は隠れ親日派だというのは早計だ。日本文化が好きだと言うことが親日につながるものではないのだ。

フランスについて見れば、ドイツ人もイギリス人もアメリカ人もフランス文化が大好きだ。ドイツ人のプロイセンの軍団のような団体行動も、イギリス人の気取りも、アメリカ人の野卑な仕草もフランス人から軽蔑されているしそれを彼らも知っているが、それでもパリにやってくることが一生の夢だ。

しかし、だからといって、フランスの外交政策に理解を示すわけでない。だから日本好きの文在寅一家だからといって大統領の政策が反日であることは不思議でない。

もっとも、まったく意味がないわけでない。ナチスもパリの街を焼くことを躊躇してコルテリッツ将軍はヒトラーの命令を無視した。ノートルダムが焼けたらアメリカ人も多額の寄付をする。英国の上流階級のフランスへの愛着は、ポピュリストの反大陸的な外交政策にもそれなりにブレーキになっている。

文在寅一家にせよほかの韓国人が日本文化が好きだからといって、外交政策で意味があるなどと思わない方がいい。しかし、日本がいかに経済的にも文化的にも韓国に対して貢献してきたかを理解してもらうための素地にはなると思う。残念ながら韓国から日本への文化的貢献はひどく誇張されたり、ねじ曲げられている。

朝鮮文化は日本文化より先に発展したという根拠のないテーゼを先に立てて、それから根拠もなく恩義を押しつけているし(東北地方の気候に近い半島南部で日本より先に稲作が普及したはずもないのは常識を働かせたら分かる)、古代については、半島在住の漢民族の貢献を韓国人の貢献だとすり替えている。いわゆる帰化人でも文明に貢献したのはすべて漢民族で、満洲系の百済人は亡命者だ。

逆に、日本から韓国への貢献は、ほとんど研究すらされていない。日本で早く出現して、のちに韓国で広まったもののうち多くが、日本の影響だというのが普通の見方だが、そういうものは、研究もされていから意識もされなかったり、「日本が韓国より先進的であったはずないから、見つかっていないだけだ」ということになる。前方後円墳は日本での衰退期になってようやく韓国でも真似られ出現している(『日本国紀』では百済が日本の植民地みたいなものだったからと述べているが、実際には日本が支配していた任那4県において築造された)。

そういう歪みを是正するためには、まず、日本人自身が日韓交流史について正しい認識を確立しないと韓国人に正しい歴史を理解してもらいようがない。そうしてはじめて、韓国人の日本好きがゆっくりと反日の克服につながっていくのだと思う。

歴史的に日本人が韓国を先進的な文化をもった国だと思っていたとか言うことはほとんどない。あるとすれば、儒学者くらいだ。朱子学の宗教国家みたいなものだったのだから、当然だ。

それを、朝鮮総督府が日韓併合が円滑であるように、日本人の韓国への好感度を上げようと、朝鮮の伝統文化を称揚し振興し(中国文化を至上とする韓国では朝鮮の伝統文化への評価は低かった)、日本への貢献も誇張したのが原点なのであって、そうした日本の朝鮮統治の『負の側面』こそ克服すべきだ。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授