香港のデモが止まりません。空港占拠が4日目に入り、昨日は飛行機の発着そのものも止まりました。香港経済にも深刻な影響が出るのではないか、とみられています。日経によると8月はまだ半ばですが、観光客が前年比3割減のペースとなっているようで経済成長率も2018年初頭には4.5%以上あったのに現在では1%を切る状態になっています。
中国政府はデモではなく「テロの兆し」という強い表現を使い、香港との境である広東省深圳には人民解放軍が待機し、演習を行い、非常時に備えています。
ただ、習近平国家主席としては過度な介入は天安門事件の再来になる可能性があり、極めて難しいかじ取りとなっています。一旦人民解放軍が制圧に踏み込めば不測の事態も想定できるわけで、それなりの犠牲者は出るでしょうし、そうなれば、中国側が相当用心深く対処したとしても香港のデモ派に対し、火に油を注ぐ事態になりかねません。つまり、制御不能に陥ることもあるのでしょう。
香港のこの事態は今や世界が注目する状態になっており、NYの金融市場にすら影響を与えるほどになっています。
ではこの香港の若者中心のデモのモチベーションは何なのか、これが今一つはっきりしません。「逃亡犯条例」改正案への反対で当面保留されたものの廃案になったわけではないということでデモが続いていると当初は考えられました。しかし、私はそうではなく、若者がしかるべき年齢になる2047年を既に視野に入れているのだろうと察しています。
2047年、つまり香港が英国の植民地から中国に返還されるにあたり約束された「資本主義制度を採用し、高度な自治が認められる50年間」が切れる時であります。今から28年しかなく、20代、30代の若者がまだ現役であるその頃に香港の統治は大きく変わることがすでに目に見えているようなものなのです。
1997年の返還の数年前、香港人は先を争うように資産の分散化を図りました。カナダやオーストラリアなどに不動産を購入し、移民権を取得しました。バンクーバーは当時「ホンクーバー」と呼ばれ、香港から移民してきた有名シェフが作る中華料理は香港のそれよりもおいしいといった評判すらありました。
ただ、香港の人にとってオーストラリアもカナダも退屈な国であのネオンがギラギラして雑踏の中でビジネスチャンスを見出すという生来見てきたあのスタイルに多くの移民は香港に引き戻されました。一時期は香港からカナダへの新規移民申請がほとんど消え去った時もあります。また、当地に母子だけを残し、子供が大学を卒業後に香港に帰るというケースも多々見受けられました。
私は今、デモをしている人たちは97年当時の富裕層が採った国外脱出といった選択肢がない一般民の抵抗なのだろうとみています。それゆえ、必死の抵抗なのかとみています。
一部からはアメリカの関与説も聞こえてくるのですが、私は仮にあったとしてもそれほど強いものではないとみています。どちらかといえば香港の一般人の焦りであり、自分たちの将来への懸念そのものなのだろうと思います。
考えてみれば中国本土とは真逆ともいえる自由さを謳歌した香港人にとって突然手足を縛られ、監視されるような抑圧的な世界をどう想像できるでしょうか?ある意味悲壮感すら漂います。
ただ、私はだからと言って暴動を継続することが正しいとも思えません。香港が香港としての絶対的地位を確立するためには香港の独自性をより強め、明白なる違いを打ち出すと同時に残された28年の間に香港人の自立と将来への計画を一つひとつ詰めていくしかないような気がします。
28年の間に中国本体がどうなっているか、これも決して安泰としていないかもしれません。何が起きるかわからない世の中において今なすべきはその時に備える賢さではないでしょうか?
もちろん、そんなきれいごとでは収まらない、という意見も多数あると思います。しかし、現在のデモは明らかに行き過ぎているし、それだけのエネルギーをずっと維持することは難しいでしょう。
一節には10月1日の中国建国70周年記念への抗議だとする見方もあります。まだ1カ月半あります。仮に9月になっても今のテンションが続くようなら中国も本腰を入れる可能性はあります。それは取り返しがつかない事態にすらなり得ます。
個人的にはどうにか収まってほしい、と願っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年8月13日の記事より転載させていただきました。