韓国系暴力団組長の忠告

崔 碩栄

1994年大阪にある韓国系ヤクザ組織の組長を訪ね、在日ヤクザについて取材をした韓国人記者の体験談がある。組長は山口組系組織の顧問を務める人で病院に入院中だった。(匿名なので具体的な情報は不明)

HiC/写真AC(写真はイメージです。編集部)

記者は彼に「仕方がないからヤクザになった」みたいな物語を期待していたようだ。

つまり、徴用・徴兵で日本につれて来られて、外国人として教育の機会もなく、就職の差別の中で、’仕方なく’ヤクザになったという物語。しかし、組長は逆に記者に対して不快感を示し、記者は困惑する。以下は記事の引用。

「それで、何について書くと?」
着席を促しながら、彼(組長)は口を開いた。返事の代わりに用意した封筒を渡した。
日本語で書いた「在日ヤクザ組織の取材協力要請書」だった。メガネをかけて読んでいくうちに彼の表情が厳しくなった。要請書の中でとりわけ多い「民族史」「徴用」「徴兵」「在日への差別」のような言葉が目障りだったようだ。続いて彼が言った。

「韓国人はなんでもかんでも<過去の36年>(日本統治期)を持ち出すが、これからはこっち(日本内)の客観的な事情を見るのも大事だ。今は、(在日韓国人が被害者ではなく)在日韓国人に被害を受け、自殺までする日本人も多いということを知るべきだ」

(「韓国系ヤクザの世界」『時事ジャーナル』270号、1994年12月29日 韓国語)

韓国のステレオタイプ「在日=被害者」

ここで面白いのは、韓国から日本へ取材に行った記者は「在日=被害者」という認識が強いが、逆に日本にいる組長は、差別と被害ばっかり強調することに抵抗感を示したことだ。正直この組長の話に少し驚いた。少なくとも「被害」に関する認識は、一般の韓国人が持っている認識より素直で、客観的に見えたからだ。

私は10年以上日本で生活してきたが差別にあった経験はない。それは私が運がよかったかも知れないし、私が鈍感だからかも知れない。しかし、だからといって差別がないとは思わない。差別や偏見で切ない思いをした人もいたと思う。それは外国人だけではなく日本人も同じだ。重要なのはそういう社会的な偏見は明らかに減ってきたし、今も改善されつつあるということだ。

金嬉老回顧録「われ生きたり」より:編集部

しかし、韓国にいる韓国人は、日本にいる在日韓国人よりも「日本は差別が酷い国」という強いイメージを持っている。私は韓国に里帰りするたびに「差別にあってないか」と心配されたことが何回もある。逆に日本にいる在日韓国人からは「卒業したら韓国に帰るより、日本で働いたら?」と勧められたのに。

韓国にいる韓国人が、日本にいる韓国人より「差別」のイメージを持っている理由は、韓国の新聞、ラジオ、テレビでは在日韓国人をいつもそのように描いて伝えているからだ。時には嘘までついて「差別」を強調する。私は嘘の報道について韓国の放送局に抗議したこともあるが、答えは「状況を強調するためには許される範囲内だと思う」というものだった。視聴者に嫌悪感をもたらす放送をして、それが「許される範囲」というのだ。

ただの殺人犯だったが、差別を訴えただけで韓国と日本のリベラルから「闘士」のように扱われた金嬉老。しかし彼の周りにいた人たちはみんな彼を離れていった。激しい性格の彼と衝突、喧嘩が絶えなかったからだ。彼の救命運動に誰よりも積極的だった人物は、彼の救命活動をしたことを「後悔している」とまで述べたほどだった。(詳しくは wiki 金嬉老事件をご参考下さい)

最初の話に戻ると、おそらく記者は組長の反応に戸惑ったと思う。在日韓国人本人から「在日=被害者」というのを否定されたからだ。しかしその戸惑いの責任(?)は、誰でもない韓国のマスコミに問うべきではないかと思う。少なくとも組長はそう思っているはずだ。

Nikkan Watch」2019年8月17日の記事に一部加筆。

崔 碩栄   フリーライター

1972年、韓国ソウル生まれ。高校時代より日本語を勉強し、大学で日本学を専攻。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。その後、ノンフィクション・ライターに転身。ツイッター「@Che_SYoung