瀧本哲史さんとの思い出(下)才能を世のために使おうとした愛情

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Amazon著者ページより:編集部

学者の道を進まず、マッキンゼーで企業の経営改革で手腕をふるい、エンジェル投資家としても活躍。数々のベストセラーを生み出した滝本さんの活躍は、あらためて言うまでもありません。

そんな中、一度だけ、むしろ学生時代以上に密に直接にやり取りをさせて頂いたことがありました。それは、私が霞が関で起こした改革運動の「プロジェクトK(霞が関の構造改革)」の件です。

この活動には並々ならぬ理解を示してくださり、実際に、「架け橋」というプロジェクトKメンバーが主体となって行うフォーラム(メインスピーカーをお招きしつつ、参加者同士でグループディスカッションなどを行うイベント)には、何度か参加してくださりました。個別にも色々とアドバイスをくださったり、瀧本さんのご著書でも、プロジェクトKの活動について紹介してくださったりしました。

手前味噌な書き方にはなりますが、瀧本さんとしても、私たちの議論(日本を活性化するには質の高い政策を霞が関で作る必要があり、そのためには、人事制度・組織・業務フローなどを大きく見直さなければならない)が本質を突いていると認めてくださり、しかも、実際に運動を起こして変えようとしているという点に大きく共感してくださったのだと思います。

この時のやり取りで、恥ずかしながら初めて、瀧本哲史という知性の塊のような人の本質が、議論のための議論をするところにあるのではなく、むしろ、現実をどう動かすかという「蛮勇」を知性でどう現実にするかという議論にあるのだと得心しました。

理性の人は、とかく、出来るかできないかという合理で物事を捉えがちだとの偏見がありましたが、瀧本さんは、理想や希望のために、エリートがどう理性を使うか、という矜持を強く持った方でした。失礼を承知で書けば、いい意味で阿呆だったんだと思います。(「何てこと言うんですか。はっ、はっ、は」と叱られそうですが)

その後、私が霞が関を離れることについては、どちらかというと批判的(というより、残念に思われていた印象)でしたが、青山社中設立後も、何かと目をかけてくださり、東大の五月祭の瀧本ゼミのイベントで対談相手に指名してくださったり、瀧本ゼミの学生(複数)を何度となく弊社に意見交換に派遣したりしてくださいました。

学生時分には気づいていませんでしたが、人と人をつなげること、瀧本さんもご著書で引用されているグラノベッター的には、weakties(親類の紐帯等ではない弱いつながり)を多数作って、社会を少しでもいい方向に変えることに、大いなる関心をお持ちだったのかな、と今にして思います。

麻布学園中学・高校(Wikipedia)

最後にやり取りしたのは、3~4年前くらいだったでしょうか。瀧本さんの母校の麻布中学・高校でエネルギー政策の講義をして欲しいと頼まれ、経産省時代の経験をベースに最近の事情を多少調査して先輩と調整し、授業をしたことがありました。その際、生まれてはじめて名門の麻布学園に足を踏み入れました。

土曜日に、希望者のみということで、政策やら、ビジネスやら、はたまたラテン語や映画論やら、受験や学習指導要領を度外視した色々な講義が受けられる、というカリキュラムの一環で登壇したのですが、大学受験のトップ校でありながら、そういう「遊び」があるところに驚いたことを思い出します。

机や椅子からしてアメリカのクラスのようで、とても議論がしやすい環境でした。「ああ、こういう環境の中で瀧本哲史が生まれたのか」と、少しだけ、瀧本さんの背景にある何かが分かった気がしました。

私から見る瀧本さんは、感情から来る「妬み」がほぼ皆無で、理性・事実・論理だけを愛し、同時に、かなり社会や後輩に対してお節介でした。表現方法は普通とはちょっと違いましたが、自分の才能を知りつつ、それを社会や他者のために精一杯使おうとされていた愛情あふれる先輩だったと思います。私が言うのも傲慢ですが、「哲史」というお名前にふさわしい方でした。

お世話になった瀧本先輩のご逝去に際し、ありのままの自分の記憶、自分の想いを精一杯書かせて頂くことが、そして、それを通じて少しでも多くの方に瀧本哲史先輩という存在を知って頂くのが、自分なりの供養・誠意だと思い、長文ながら書かせて頂きました。

逝去されたという状況に鑑みて、先輩をひたすら賞賛する内容だけを書くことも考えましたが、むしろ、理性・事実・論理をあれほど愛した先輩に対して、それは逆に失礼だとも思い、敢えて、率直に、私との考え方の違い、持っていた違和感などについても素直に書かせて頂きました。

異なる見解・意見を飲み込む度量、というよりは、全力のぶつかり合いとしての議論を心から楽しんでおられた先輩ならご寛恕いただけると勝手に思っています。弁論部の徹夜の合宿時同様、恐らくあちらの世界でも安らかに眠りなどしてないと思うので、私がそちらに行った暁には、私の今後の生き様を題材に、私の代の部長だった故二澤君なども交えて、存分に議論したいと思います。

ここまでお読みいただいた方々におかれては誠に有難うございました。瀧本哲史という奇跡の存在についてのご理解の一助になったとしたら幸いです。仮に、気分を害する部分、違和感、事実誤認等があるとしたら、それらは全て、私の責任です。

(連載 終わり)

朝比奈  一郎    青山社中株式会社  筆頭代表(CEO)

1973年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。経済産業省ではエネルギー政策、インフラ輸出政策、経済協力政策、特殊法人・独立行政法人改革などを担当した。 経産省退職後、2010年に青山社中株式会社を設立。政策支援・シンクタンク、コンサルティング業務、教育・リーダー育成を行う。中央大学客員教授、秀明大学客員教授、全国各地の自治体アドバイザー、内閣官房地域活性化伝道師、内閣府クールジャパン地域プロデューサー、総務省地域力創造アドバイザー、ビジネス・ブレークスルー大学大学院客員教授なども務める。「プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)」初代代表。青山社中公式サイトはこちら