チョ・グク事件はなぜ日本人にこんなにウケるのか

八幡 和郎

日本のテレビのワイドショーのチョ・グク事件についての盛り上がり方は異常なほどだ。他国の閣僚の任命についてなんでこんなに関心があるのかという人もいる。

疑惑の渦中にあるチョ・グク氏(KBSニュースより:編集部)

その理由のひとつは、チョ・グク氏が長身でハンサムだからだ。テレビではミヤネ氏が「これが森永卓郎なら誰も話題にしない」とかいささか問題の多そうな関西乗りの茶化しをしていたが、たしかにそうだ。

日本人になぜそれが受けるかと言えば、これが「実写版・韓流ドラマ」だからでないか。あのドロドロした濃い人間模様はドラマのなかだけでなかったのである。

それでは、韓流ドラマはなぜ日本人に受けるのかといえば、江戸時代の時代劇みたいだからだと思う。なぜ似てるかといえば、徳川時代というのはそれまで仏教が主流だったのを儒学に置き換えた李氏朝鮮のイミテーションだから似ているのは当たり前なのだ。

日本では、江戸時代以前には儒教はそれほど盛んでなかった。だから、階級とかいうことに江戸時代以降ほど拘らなかった。もっとおおらかな社会だった。ところが、朝鮮王国からもたらされた朱子学の世界は、身分秩序を明確にせよと言う主張だ。だから朱子学を学んだ名君は、同和地区の人には一目でそうと分かる服装をきさせて誉められた。

だから、明治維新を否定的に見て江戸時代を誉める人には韓国や北朝鮮のシンパが多いのが笑える。

韓国にどうして親族がらみのスキャンダルが多いのか。それは儒教の国だからだ。儒教は清廉潔白を要求する思想などではまったくない。地位の高い人はそれに相応しい格式を整えることを求め、親族の面倒もしっかり見ることを求めるダーティーな思想だ。

ただし、韓流ドラマは衣装の華やかさなどは逆に日本の時代劇を真似たものだ。李氏朝鮮ではカラフルな衣装はほとんどなかったはずだ。李氏朝鮮時代の服装を見るとほとんど白ばかりだ。

もうひとつは、日本に対する彼のあまりにもひどいヘイト的言辞があったものだから、ざまあみろというのもある。すでに文春オンラインなどで拾われているが、以下のようなものだ。

「1965年以降の一貫した韓国政府の立場と、2012年および2018年の大法院判決を歪曲、非難、売りわたす韓国人は当然『親日派』と呼ばなければならない」(7月20日。Facebook)

国会の聴聞会でも大法院の判決を「断固擁護する」とか放言をしているが、これまでの韓国政府関係者は、三権分立だから手の施しようがないとかいって逃げていたが、「断固、擁護する」と挑戦的にいうなら、日本の偽リベラル、韓国極右国粋主義擁護の変態右翼のみなさんも弁護しにくいだろう。

「(『反日種族主義』というベストセラーについて)この人たちにこんな吐き気がする本を出す自由があるなら、市民にはこの人たちを親日派と呼ぶ自由がある」(8月5日、Facebook)

「こんな状況で重要なのは、進歩・保守、左・右ではなく、愛国か利敵かだ」(7月18日、Facebook)

というように、「反日無罪」的な雰囲気を煽っているのである。


八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授