日産の西川広人社長への取締役会による辞任要求は遅すぎた感がありました。ただ、その引導を突き付けるタイミングを探っていたとすれば今回の「報酬かさ上げ問題」という非常に分かりにくく、グレーな事件をもってようやく成しえたということになります。
私は日産という会社と長く縁がありました。ゼネコンに勤めて1年もたたない頃、日産担当を兼務しました。そのゼネコンが日産の関東地区の工場の工事を請け負っていたこともあり、東は栃木工場から西は座間、追浜どころか富士吉原にある日産グループのジャトコ(日本自動変速機)まで駆けずり回っていました。
その後も車は日産という習癖が出来たのか、今でも自分の車は日産ですし、業務のレンタカー事業でも主力は日産車であります。私の先輩は東京日産の社長を歴任していますし、バンクーバーでも日産との付き合いは非常に深いものがありました。
そんなこともあり、日産の体質については昔からそれなりに感じるものがありました。東の日産、西のトヨタという変遷を経て日産は独特な社風を作り上げていったように感じます。例えは適切ではないかもしれませんが、倒産前のJALに似たところすらあったように感じます。その背景には「鮎川コンツェルン」傘下の財閥意識があるのかもしれません。
90年代、日産が極度の不振に陥ったころ、主力の日本興業銀行(当時)は立て直しに尽力します。銀行から幹部も出しますが、そんな小手先の対策ではもはやどうにもならない構造的問題を抱えてしまっていました。ゴーン体制はそれを打破する意味で衝撃でした。
ただ、JALが稲森和夫氏による再生で成功したのに日産は数字こそ回復したのですが、JALとは決定的に違ったものがありました。一つは倒産しなかったこと、一つは社内の本質が変わらなかったことであります。つまり、ゴーン体制では衝撃的なビジネスの構造改革こそ行われましたが、人的改革は行われなかったのであります。日産は官僚的であり、冷たい雰囲気があります。トヨタは技術者体質であるのに比べてだいぶ異なります。
ゴーン体制がなくなったことはある意味、日産を再び不幸に陥れたように見えます。それは変わらない人的体質が再びむくむくと起き上がってきたことで社内統制が取れなくなるシナリオが生まれるからです。取締役会議長には鮎川グループそのものを表すJXTG出身の木村康氏を、監査委員会委員長には興銀出身の永井素夫氏であります。
今回の西川社長の報酬問題に関して経済産業省が「日産はこのままではもたない」と発言したと報じられています。そうなんです、経産省はよくわかっているのです。もたないのです、このままでは。しかし経産省の審議官だった豊田正和氏も指名委員会委員長なんです。いかに官僚的組織感が強いかお分かりいただけるでしょう。
ゴーン氏と西川氏は「ニコイチ」でありました。ご本人はさほど遠くない時期に退任することを覚悟していたようですが、今回のような衝撃的退任を想定していなかったところに日産的体質が見て取れます。思い出したのはセブンイレブンの鈴木敏文元会長の帝国が壊れた時であります。氏も周りの雑音は知っていたものの大したことないと高をくくったところで梯子を外されました。西川氏が勘違いしたとすれば自分もゴーン氏と同じようなパワーがあると思ったことではないでしょうか?
さて、今後の日産に何を期待するか、です。まず、トップですが、社外から持ってくるしかないと思いますが、これを立て直せる力量がある人は限りあるでしょう。日本人なら日本電産の永守重信氏とか経団連会長の中西宏明氏クラスのカリスマ性を持ち合わせる方でないと務まりません。外国人経営者でもいいのですが、ゴーン氏で躓いているので拒否感が強いと思います。とにかく、仕事をする会社にすることです。
次いでクルマをベースとした次世代の「移動手段(トランスポーテーション)はCaaSでありMaaSを目指す新しい業態に変りつつあります。もはやクルマを作っているだけではだめなのです。ソフトと融合させ、社会にどれだけなじませるかという全く違うチャレンジをしなくてはいけないのです。クルマは今やコンピューターであり、ITの塊であります。巨大な電化製品としても過言ではないでしょう。
それほど過酷な時代にゴーン問題、ルノー問題、挙句の果てに社内問題で大いに時間をつぶしてしまった日産がキャッチアップできるか、正念場かもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年9月11日の記事より転載させていただきました。