メキシコ・シナロアのカルテルを支配していた「麻薬王」ことホアキン・グスマン(62歳、通称:エル・チャポ)は7月17日、ニューヨークの連邦地裁でブライアン・コーガン判事のもと終身刑の判決が言い渡されたのであるが、終身刑の判決は事前に決められていたとされている。
というのは、メキシコでは死刑の判決は存在しないということから米国の裁判所が判決を下す際に死刑の判決はしないという条件付きで当時のメキシコ大統領ペーニャ・ニエトが送還を許可したとされているからだ。(参照:peru21.pe)
現在エル・チャポのメキシコと米国の弁護団は二方面からこの裁判を無効にさせるべく取り組んでいる。ひとつはメキシコから米国に彼を送還したことが違法であるということ。もうひとつは今回の裁判で陪審員の違反行為が明らかにされているという二点からである。
メキシコからエル・チャポを米国に送還するのに根拠にしたのは1978年5月に両国の間で結ばれた犯罪に関する協定であった。しかし、この協定には身柄の送還というのが義務として謳われていないということ。即ち、一方の国からもう一方の国に容疑者の送還の依頼があっても、その要請を受け入れることに義務はなく、送還する、しないは依頼を受けた国の任意の判断に委ねるとされているということ。
ところが、2017年1月にトランプ米大統領は米国との国境に壁を建設するぞと脅し、また両国間の自由貿易協定を破棄する意向があるとペーニャ・ニエトに迫った。その圧力の前に、ペーニャ・ニエトは閣僚会議において全員一致で送還を決めたということ。それをメキシコの世論の前に伝え、2001年と2015年と2度脱獄した経験のあるエル・チャポをメキシコの刑務所に今後も収監させておくことに困難さを伴うと判断してペーニャ・ニエトは送還を決めたというのであった。
2001年は刑務所の監視員を買収して洗濯物が入ったカートに身を隠して脱獄。2015年は彼の独房のシャワーの受け皿の下から仲間の手助けを受けて1.5キロの地下トンネルを掘って脱獄。
結局、米国からの圧力の前にメキシコ政府は屈したというわけであった。
そのような状況があったとして、エル・チャポの弁護団は送還は不当で違法で憲法を犯した行為だとした。ということから、不当で違法な送還によって裁かれる裁判は無効だとして、ハーグの国際司法裁判所、国連人権高等弁務官事務所、アムネスティー・インターナショナルなどに今回の裁判の無効を訴えるとした。(参照:elespanol.com)
また、今回の裁判の公判中にこの裁判を取り上げたメディアの情報に陪審員が目を通していたということを判決が下された後、陪審員のひとりがデジタルメディア「ヴァイス・ニュース」で明らかにしたのである。しかもコーガン判事の前でそれを否定していた。公判中はこの裁判に関係した情報に陪審員が触れることは一切禁止されている。それが厳格に守られていなかったということ。このことから、弁護団は裁判のやり直しを要求している。
(参照:cnnespanol.cnn.com)
更に、エル・チャポの弁護団の期待を背く行為が見つかっている。今回の判決が下された後、直ちにヘリコプター、その後飛行機で彼は移送されたのであった。向かった場所は米国でこれまで誰一人脱獄したことがないコロラド州フローレンスにある刑務所ADXである。
当初、彼の弁護団は公判中に収監していたニューヨークの連邦刑務所にこの後60日間留まるものと考えて、今回の判決を不服として控訴するための準備に取り組もうとしていた。弁護団にとって、エル・チャポの判決直後の移送は不意打ちを突かれたものであった。判決の日の午後に連邦刑務所を担当弁護士が訪ねた時には彼は午前10時20分過ぎに移送されていたことを知ったのだった。
移送された刑務所ADXはデンバー市から南に185キロの場所に位置しており、弁護団にとっても地理的に容易にアクセスできる場所ではない。1994年に完成したもので、400人以上の囚人が収監されている。非常に危険性の高い囚人を対象にした刑務所である。
(参照:elpais.com)
彼の独房は2.1x3.6メートルの広さで23時間点灯されて監視され、1時間ほど運動などができる場所に移動できる。移動は常に刑務官が同行し、運動は常にひとりで行う。独房にあるベッドの床、テーブル、椅子はセメントで出来ている。配管は防音されて他の独房の囚人との交信ができなくしている。テレビの画面は白黒で番組も刑務所の都合に合わせたものだ。(参照:infobae.com:sinembargo.mx)
La prisión “Supermax” donde cumplirá su condena “El Chapo” Guzmán: un hoyo de cemento aislado del mundo del que nadie escapó https://t.co/C6CxcCGzE2 pic.twitter.com/jpEg8aOTY3
— infobae (@infobae) July 17, 2019
嘗て、この刑務所に2005から10年間収監していたトゥラビス・デゥセンベリーは報道メディアマーシャル・プロジェクトに次ぎのように語った。「私は他の刑務所にいたこともある。そこでは道路や空を見ることができた」「ADXでは何も見えない。高速道路も空も見えない。あそこに到着した途端、何も見えなくなる。しかも、それが何年も何年も続くのだ」「世界から消え去ったようなもので、恐怖で意気消沈してしまう。何も生き物を見ることがない。雑草さえどこにも見つからなかった」「私の独房は完全にコンクリート詰めだった」と披露した。
更に、「あまり多くのことは出来ない。屈伸運動や読書だ。書き物はできる。ゴムインキでクレヨンサイズのペンだ。(短いのは)刃物に変身させないためだ」「10年間、夜は寝ることが出来なかった。独房が私の世界になってしまう。そこから出ることも(心理的に)できなくなり、しかも寝付くこともできない。閉所恐怖症になってしまうのだ」「ADXに到着してから人間であるといことが権利でなくなるのだ」と指摘して心理面の変化の恐ろしさを表明した。
判決が下された時に彼の弁護団のひとりマリエル・コロンは彼がADXに移送されるということは察知していたという。そこで、彼女はCNNの取材に「大衆がエル・チャポを見るのはこれが最後であろう」と語った。
期待を裏切られたエル・チャポは判決が下される前に13分間通訳を介して喋り、用意していた手紙も読み上げた。彼の発言の中には、「米国の裁判システムは良くはない。腐敗に染まった国々のそれと同じだ。陪審員はメディアに操られた」などということが表明された。そして、メキシコから送還された時は正当な裁判を期待していたが、結果はその全く逆となったという不満を伝えたのであった。(参照:milenio.com)
エル・チャポの母親コンスエロ・グスマン・ロエラはトランプ大統領にDHLで手紙を送った。トランプからの返事はない。その手紙には次の様な内容を綴っていることをロペス・オブラドール大統領が明らかにした。「会うことなく5年が経過した。私は高齢で(息子を)見ることができないということで、イエスキリストへの私の信仰が私を生かしてくれている。我々の懇願は私の息子ホアキン・アルチバルド・グスマン・ロエラをメキシコに帰国させてくれることです」と認めたのであった。
エルチャポの弁護団は人道的な意味で少なくとも母親には息子を訪問できるビザの発給を要請しているが、まだその回答はないそうだ。彼との間に8歳の双子を持つ現夫人で元ファッションモデルのエンマ・コロネルは『El Chapo』のブランドでアパレル業界でビジネスを始めることになっている。
嘗て、麻薬王として君臨し、殺害されたコロンビアのパブロ・エスコバルの次に登場した麻薬王エル・チャポも今回の判決を機にADXで余生を過ごすことになり、カルテル組織の間で彼の威光は次第に消滅して行くのであろう。
白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家