「咢堂十二景」、もうひとつの楽しみ方
9月13日より憲政記念館で開催中の特別企画展示「尾崎行雄 没後65年−咢堂十二景を中心に−」。
令和初の開催となる今回は、同館の前身でもある尾崎記念会館の看板展示物でもあった競作「咢堂十二景」がメインです。
尾崎行雄の生涯におけるハイライトの数々を第二の故郷・三重県の画家たちが描いた異色の絵画集ですが、中でも「桂内閣弾劾演説」の1枚は歴史の教科書でお目にかかった方も多いことと思います。
一連の作品は、年代順に以下のタイトルで描かれています。
新潟新聞主筆として赴任 (20歳)
保安条例による東京退去 (29歳)
第一議会への登院 (33歳)
東京市長として水源地調査 (46歳)
桂内閣弾劾演説 (56歳)
軽井沢での炭焼 (63歳)
芝公園で普選演説 (65歳)
遺骨を抱いて神戸上陸 (76歳)
辞世を懐に挑んだ林内閣弾劾演説(80歳)
池の平でのスキー (84歳)
天皇陛下に拝謁 (88歳)
ワシントンの葉桜 (91歳)
12点の絵画に描かれた尾崎の生涯ですが、けっしてすべてが順風満帆な訳ではありませんでした。若き日の屈辱でもある「保安条例による東京退去」や、夫人テオドラを喪っての「遺骨を抱いて神戸上陸」などは、尾崎にとっても決して晴れやかなものではなかった場面です。人生、良いことばかりではありません。
還暦を迎えて半生を振り返った時には「心血を扱いで尽力した事柄は、誠に見苦しい結果を生じ、人に対して合せる顔もないほど、一生を無駄に過してしまったと思っている」とさえ述懐しています。
尾崎最大のハイライトは、政治家としての晩節
それが70歳を過ぎたある時、尾崎は選挙区三重県での遊説中、病に伏します。その際に「人生の本舞台は常に将来に在り」と脳裏に浮かんだことがきっかけとなり、そこから尾崎の躍進がふたたび始まります。あるときは辞世の句を懐に忍ばせて議場に立ち、またある時は人生初のスキーにも挑戦しています。
そして何よりも、おそらく尾崎にとって人生一番の大仕事でもあった最後の訪米は1950年(昭和25年)、わが国がサンフランシスコ講和会議を経て国際社会に復帰する際の橋頭堡となりました。
首席全権・吉田茂が会議に臨む1年前、尾崎は元駐日大使ジョセフ・グルーやウィリアム・キャッスル等が主宰する「日本問題審議会」の招きに応じ渡米。大戦で冷えきった日米両国のわだかまりをほぐし、雪解けに導く役割を担いました。
単に融和のためだけに訪れたのではなく、歓迎晩餐会のテーブルスピーチでは第二次大戦の災禍を招いた責任として日本のみならず、アメリカとイギリスにも責任の一端が等しくあったと述べるなど、敗戦国ながらも毅然とした姿勢と日本の立場を示しました。
また上院へ招かれた際には、トルーマン政権の副大統領アルバン・バークリーから「100歳になられたら、ぜひまた来てください」という言葉をかけられたのに対し「この国の移民法は、日本人の滞在を2年以上は許しておりません。うまく102歳までに死ねばよいが、それ以上長生きしていると追い返されてしまうでしょう」とやり返しています。
冗談を交えながらもチクリと一刺しする尾崎には、副大統領も「それまでには、移民法を改正しますよ」と苦笑するしかありませんでした。実に90歳を過ぎてからの出来事です。
十二景を締めくくる最後の1枚「ワシントンの葉桜」は、まさに尾崎の人生観「人生の本舞台」そのものといって差し支えないでしょう。
政治家としての締めくくり、集大成をどう迎えるか
今回の展示は過去の開催と同様、一般にもひろく無料公開されています。衆議院の施設ではありますが、先の参議院選挙で初当選を飾られた新人議員の方々にもぜひお運びいただきたいと願います。単に絵を見るのではなく、尾崎を通じて議員の方々のお一人おひとりに自身の姿を投射し、重ねていただきたいのです。
もちろん新人ばかりでなく、むしろ当選10回以上を重ねたベテラン議員の方には、あえて新人を連れて見学に訪れていただきたいと願ってやみません。
衆議院議員の現職で当選10回以上のベテランは26名、うち最多当選は国民民主党の小沢一郎議員(17回)、次いで自民党の野田毅議員(16回)。以降は無所属の中村喜四郎議員(14回)、元総理の麻生太郎議員(13回)、同じく菅直人議員(13回)と続きます。
いずれも憲政史をつないでこられた功労者であると同時に、わが国の政治がいまだ成熟を見ることのできない、その責任の一端を担っているとも言えます。ちなみに現在の内閣総理大臣・安倍晋三首相は当選9回です。
ベテラン議員の方々が12枚の絵画に描かれるとしたら、果たしてどうでしょうか。中でも最後の1枚、すなわち「政治家としての大仕事、あるいは集大成をどうなさるおつもりか」。それぞれにお伺いしたい点です。
東京オリンピック・パラリンピック開催の陰に隠れていますが、来年2020年は1890年の帝国議会開設から130年の節目でもあります。そうした節目を迎えるにあたり、わが国の政治は世界に対しても範を示せるだろうか。毅然と胸を張れるだろうか、そして後輩たちに自信をもって背中を見せられるだろうか。
五輪の成功ばかりでなく、そうした「民意の日本代表」たちにも注目したいと思います。
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高橋 大輔 一般財団法人 尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト