日本が中韓より欧州に近いという歴史学視点があるらしい

この絵は昔「中韓」と「日本」の間で線を引くと東アジア的本能的な安定が得られるんじゃないかというブログ記事で使ったものなんですが。

距離が近いからこそ、“違い”をちゃんと理解しないとうまく付き合えないのは人間の普遍のルール

別に「中韓を下」に見るとかそういう話ではなくて、感性において「違う」部分が存在することを理解することは、お互いのコミュニケーションを円滑にするために重要な時がありますよね?

もちろん地理的には今後も未来永劫近くにいますし相互関係も緊密ですから、仲良く出来たほうがいいには違いない。けれども、これは夫婦関係でもそうなんですが、

「距離的に近いところにいるからこそ、”夫婦なんだから仲良くして当然だろ?わかりあって当然だろ?”と押し切るのではなく、近くにいるからこそ、その”違い”をお互いちゃんと理解して付き合うようにしないといけないね」

という言い方もできるんじゃないかと思います。

アカデミックなモノの見方が問題を解きほぐしてくれる時がある

最近、中国史に関するアカデミックな本(といっても本式の学術書でなく学者が書いた一般向けの本)を読むことがあって、いろいろと「なるほどなあ」と思うことがあったんですね。

王岐山という中国の高官がいい本だったと紹介したことがあるという岡田英弘という日本の中国史(モンゴル史)学者の人がいるんですが、たぶんその人がいる立ち位置に近いような、「中国史を単体で見るのではなく、シルクロードを経由した東西文明のインタラクションの中から中国史を見ていくという趣旨の本」だと思います。

表紙に「驚くほど仕事に効く知識が満載!」って書いてあるんですが、確かに現代中国に対する見通しが、学者さんが一気にまとめた大きな視点から見直すことで深まる、みたいなことがかなりある本でした。

これは、現代中国と深く関係して生きている人でも、というかひょっとすると現代中国人にとっても、「古代からずっと不変的に中央集権的国家がすべてを統治してきた歴史観」って、もちろん歴史なんてぜーんぜん興味がない人にはあまりないかもしれないけど、「ちょっと」は歴史的観点をもって色々見る人にとっては当然視されてしまってるところがあるじゃないですか。

だから、例えば香港と中国という「お互い絶対に負けられない戦い」みたいなことになった時に、中国側としても「妥協」することができない。中国国内の事情にうとい日本人からすると、別に一国二制度的な構造があったって中国は中国なんだから問題ないんじゃないの?と思うようなラインでも妥協することができないでいる。

中国っていうのは「ひとつ」であるべきだから、というか、「ひとつでなくてはならない」から・・・と自他ともに思い込んでしまっている

ところがあるんじゃないかと思うんですよね。

中国は「ひとつ」でなくてはならない…という思い込みが、東アジア人全体を自縄自縛にしている?

だから、別にほんの数歩引いて妥協点を見つけたらいいんじゃないの?と関係ない人から見れば思うことでも、まず中国側が「その数歩でも引くこと自体が”中国の代表としてありえない”と思ってしまうし、まわりの人も、そのほんの数歩の妥協で”ついに中国の代表としての譲れない線が崩壊したぞ!”と過剰に大騒ぎしてしまいがちになるので余計に引くことができなくなる…、みたいな構造になってしまっている。

しかし、この本のような視点から見ると、中国がいわゆる「華夷秩序」「すべての外交は朝貢関係で上と下の関係にしてしまう」みたいなのは明代に特有の現象で、もともとアイデア自体はあったものの、そこまで常に徹底されていた視点ではない・・・ということも見えてくる。

まわりの国と平等的な関係を築いていた「China among equals」という時代もあったし、国内制度に関しても多元的に色んな制度が共存している状態がむしろ普通だったことも見えてくる。

まがりなりにも「中国」を名乗る以上は徹底的に東アジアの中心を一点化しなくてはならないという思い込み自体が、中国政府としてもちょっと重荷になっている構造はあるのかもしれない。ある程度多元性を認めても、果てしなくバラバラになってしまわないような文脈を東アジア人全体で用意していければ、中国政府が香港人とかに「適切な程度の妥協」をできるような仕切りになっていくことは、むしろ中国人のためにもなるんじゃないか?というようなことを思いました。

この「中華思想自体をアカデミックな視点から相対化して、あたらしい”東アジア人の本能的な中心”を、東アジア人みんなの協力関係で作っていく」みたいな視点から問題解決を図る話については、来年5月に出る私の新刊から分量の問題でカットされた話を公開しているので、ぜひお読みいただきたいと思います↓。

もう「この着地点」以外には戻れなくなってきた東アジア平和のメタ正義的解決方法について

日本は、中国、韓国よりも欧州に近いという歴史学の視点があるらしい

ともあれ、この「中華思想の学問的相対化」という話はそう簡単なことではないので、今回以降なんどかブログ記事にして扱いたいと思っています。私は結構日本の中国ウォッチャーの本を読むのが好きなんですが、そういう人たちがそれぞれ持っている視点と、こういう「中華思想のアカデミックな相対化」の視点からあたらしい着地点を見いだせないか…みたいな話をしたいと思っています。

それはそれとして、この本は結構色んな「普通に現代の日中関係を考えていたら思いつかない視点」を教えてくれたんですが、その中に「日本は、歴史学的に中韓より欧州に近い」という視点があるっていう話が面白かったです。

もちろん、学会のあらゆる場所で定説になってるってほどじゃあないでしょうけど、一定の支持を得ている説らしい。

と、言うのも、世界史の大きな流れ的に「モンゴル帝国」というのが本当に大きな存在だったみたいなんですね。東西を密接な「商業的関係」で結びつけてすべてを「商業化」してしまう猛烈な嵐みたいなものだった。

モンゴル帝国時代にはちゃんと兌換紙幣が流通するように政府が銀の準備金を用意していたり、塩の専売権の証書が有価証券としてそれ自体高値で取引され、首都からかなり遠い地域でも発掘されたりするらしい。

そういう

「すべてが商業化されるモンゴル帝国の暴風」に対して、「外側」にいた日本と欧州という共通点

は無視できないんじゃないかという視点があるらしい。日本も欧州もモンゴル帝国の征服が直前で止まった地域・・・ですからね。

すべてを商業化するモンゴル帝国のウチとソト

よく、資本主義の源泉としての「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」みたいな話の中で、「商業主義」って言う意味では中国はメチャクチャ商業化された地域だったのに、なぜ資本主義は欧州から生まれたのか…みたいな話があるじゃないですか。

それが、「モンゴル帝国的完全な商業化の嵐」の「外側」にあった歴史的経緯とちょっと関係あるのかも?と読んでいて思いました。

明代の中国は、商業化に対して「政権」の対応が追いつかなくて、もうグリップを完全に手放してしまった感じらしいんですね。兌換紙幣を作ることも諦め、だから民間では勝手に銀で決済するようになり、そのために世界中から銀を輸入しまくったりすることになった。

日本における「大阪中心の商業資本」と「江戸幕府」って結構似たような緊張関係ありましたけど、日本の場合は「政府」がグリップを手放さずに最後までなんとかしようとしてましたよね。そういうところに、「ちがい」を感じるというのは、結構なるほどな、と読んでいて思いました。

日本の思想家吉本隆明が、「ぼくが倒れたらひとつの直接性が倒れる」っていう、妙にカッコいい言葉を残しましたけど、そういう感覚の中に、「モンゴル帝国の外」に残った文化みたいなのがあって、中韓でも日本の文化好きな人は、「そういう領域」を共有したいと思っているんじゃないかという感覚があります。

商業主義の徹底化が「個人の体感」を徹底的に「部品」化してしまい、序列とかお金とか観念的な正義とかが絶対化されてしまう状況に対する抵抗心が、日本の文化と共鳴するタイプの人の中にはあるのかも?逆に、

そういう「個人の体感の直接性」みたいなのを徹底的に商業主義で飲み込んでしまいたいタイプの人が、中国・韓国的な「仕切り方」とグローバル資本主義の連動性の中で社会全体を飲み込んでしまおうとしている

みたいなこと、あるかも?と思いました。

そういう視点から、「中華思想への自縄自縛」を、東アジア人全体で共有して解決していくムーブメントを考えていく時に、日本人がわからできること?について今後何回かのブログで考えてみたいと思っています。

最後に

「議論と言う名の罵り合い」の時代をおえて、「本当に問題を解決するための対話」の時代をはじめましょう。

そのための私の5年ぶりの新刊、

「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?

が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。

現在、noteで先行公開しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない…と私は考えている提言については、以下をどうぞ。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

それではまた、次の記事でお会いしましょう。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
ツイッター

感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。