今年6月フェイスブックに投稿した『偉大なるかな二宮尊徳』に対し、武本様と言われる方から「北尾様にお願い。荒廃した人間性を正すために、教育を始め、立法、司法、行政の大改革[令和の改革]を立案・提唱していただけませんか?」とのコメントを頂きましたので、本ブログにて私が思うところを簡潔に申し上げたいと思います。
最近の社会現象を見ていて私が非常にショックなのは、実の親が自分の子供を虐待し時として死に至らしめるとか、あるいは前の夫との間にもうけた子に対する再婚相手の虐待を母親が止められない、といった痛ましいケースが相次いでいることです。先月17日母親に懲役8年の実刑判決が下された所謂「船戸結愛(ゆあ)ちゃん虐待死事件」もそうですが、幼児の命が虐待で奪われて行くなどという惨劇を見ていますと、私自身憤りを覚えると共に「本当に何故こんなことが…」と強く思います。
結論から申し上げれば、之は非常に複雑かつ相当根深い問題であるが故、やはり第一には色々な意味で現行教育の抜本改革を施して行かねばらないと考えます。そしてその場合、単に親の在り方だけではなく、更に隣近所を含めた一つの共同体の在り方としても捉える必要があるようにも思います。人口減少社会の此の日本で、周りの人でも助けてやろうというような意識が希薄な現況は如何なものかと思います。
例えば、痩せた子供がちゃんと洋服も着ないで夜売店で御菓子をずっと見ていたとしたら、昔なら「きっと腹が空いているんだろう…」と心配し、少しでも何かを食べさせて栄養を取らせようとするでしょう。しかし今世の中を見ていますと、そうしたことに著しく疎く余りに冷たくなっているのではないか、という気がします。もう少し周りの人・社会全体で温かい態勢が取れるよう、早急に様々を見直して行かねばなりません。
昔であれば向こう三軒両隣と言って、皆が結構助け合いをしていたものです。また核家族化の進展の下、近所付き合いも段々と消失したりしています。シビアな現実として、子育て経験に乏しい母親が一人悶々としながら泣いている子供の世話を十分仕切らずにノイローゼになる、といったケースも沢山生じているわけです。こうした問題に対して、社会が本気になって取り組んで行かなければならないと思います。こうしたことも、根本的には教育改革に対する取り組みに他なりません。そしてその教育の基本は、一言で言えば「致良知…良知を致す」ということであります。
明治の知の巨人・安岡正篤先生は『東洋倫理概論』の中で、「天稟(てんぴん)の明徳を明らかにし、人間の進むべき道について学ばねばならぬ」と述べられています。天稟とは、人間が生まれ持った才能や性質です。明徳とは『大学』に出てくる言葉で、良知すなわち善悪の判断を誤らない正しい知恵を指して言います。人間生まれながらに持っている明徳を明らかにし、人間の進むべき正しい道を学ぼうというような教育を施さない限り、上記の問題は一向に減らない許(ばか)りか益々増えて行くことになるでしょう。
例えば今、「児相がきちっと対応できていたら、こうはならなかったのに…」と思われる事件が起きています。私に言わせれば之は、児童相談所に勤めている人が十分な良知を致していない、ということだと非常に問題視しています。私は、令和の大改革に挙げられるべき筆頭は道徳教育ではないか、という気がしてなりません。最近の社会現象は、余りにも酷過ぎます。
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