関西電力をたたいても同和問題は解決しない

池田 信夫

関西電力をめぐる事件の最大の謎は、問題の森山栄治元助役に関電の経営陣が頭が上がらなかったのはなぜかということだ。彼が高浜町役場を定年退職したのは1987年。それから30年たっても、金品を拒否できないというのは異常である。

示現舎サイトより

今までの報道では、関電の工事を受注する吉田開発から森山が3億円を受け取り、それを関電に渡したということになっている。それなら森山は受注業者の代理人だが、受注側があれほど大きな態度を取り、関電がそれに従ったのは不可解だ。

この事件について最初に同和問題との関係を報じたのは、示現舎というネットメディアだった。これは以前から取材していたらしく、森山が部落解放同盟のメンバーだったと推定している。

これだけでは危なくてマスコミは書けないだろうが、きょう発売の週刊新潮と文春が追いかけ、その内容をほぼ確認している。特に新潮がくわしく、解放同盟も「50年も前の話」と、森山が在籍したことを認めている。

50年前というと1969年。森山が京都府庁から高浜町役場に移った年である。このころ彼は高浜町に福井県の部落解放同盟を設立した、と1982年に共産党の機関誌『前衛』が書いている。

京都府から福井県に異動するのは珍しいが、当時は高浜原発1号機の設置許可がおりたときで、浜田倫三町長が森山を「ヘッドハント」し、その後も3号機・4号機まで森山が推進派の指揮をとったという。小さな高浜町にとって原発は未曾有の大プロジェクトであり、反対派を抑え込むには同和問題は有力な武器だったと思われる。

この手の話は、1970年代まで京都ではよくあった。私の子供のころも、糾弾闘争で体育館のガラスが全部割られたり、解放同盟が全校生徒を集めて教師を糾弾したりした。森山も小学校の教師を辞職に追い込んだことがあるらしい。

問題が発覚したのは昨年、金沢国税局の税務調査で吉田開発の裏金が発覚し、関電への金の流れを書いた森山の手帳が押収されたのがきっかけだという。

以上の経緯が事実だとすれば、問題の本質は単なる「原発マネー」ではなく、関西に今も広く残っている同和問題である。

昔は行政が糾弾の対象だったが、2002年に同和対策事業がなくなり、行政から金は取れなくなった。そこで関電のような大企業が資金源になったわけだ。森山は関電の「人権勉強会」の講師として招かれ、関電の幹部から「先生」と呼ばれていた。

しかし今は、解放同盟の組織的な糾弾闘争はほとんどない。解同が「森山とは一切関係ない」とコメントしているのは事実だろう。彼も解同と名乗ったことはなく、それを利用しただけだと思われる。

だから今回の事件で関電の幹部を追及するだけでは、問題は解決しない。森山のケースはかなり特異だが、関西にはまだ同和を悪用して企業にたかる人物が少なくない。企業も報復を恐れて事実を隠蔽する。

関電は被害者なのだから、同和との関係を明らかにすべきだ。こういう問題を根絶するには、関電をたたくだけではだめだ。商法を改正して総会屋に金を渡す企業に罰則を設けたように、同和の脅しに応じる企業にも罰則が必要だろう。大阪府がそういう条例をつくってもいいのではないか。