写真で綴る北取材の「思い出」①
北朝鮮が欧州で初めて開業した同国直営銀行「ゴールデン・スター・バンク」(金星銀行)の写真だ。同銀行は1982年、ウィーンの一等地バーベンベルガー通りに開業した。ウィーン金融界は当時、北の銀行の開業は金融拠点のウィーンの評判を落とすとして反対が強かったが、社会党関係者の支援を受けてオープンした。同銀行はその後、ウィーン市7区カイザー通りに移転した。当時の「金星銀行」の写真が古い写真を整理していたら出てきたのだ。
同銀行は北朝鮮の商業銀行「大聖銀行」の頭取、崔秀吉氏が故金日成主席の意向を受けて、100%出資して開設した銀行だ。崔頭取は労働党中央委財政部長の肩書をもち、日朝国交正常化政府間交渉の際には、日本を頻繁に訪問、在日朝鮮人の資産の見積もりをしていた人物だ。
銀行が入った同ビル上階には北のスパイ工作機関「ゴールデン・ウイング」の事務所があった。要するに、「金星銀行」と「ゴールデン・ウイング」が入った同ビルは北朝鮮の欧州工作の主要拠点だったわけだ。
「金星銀行」は2004年6月末、中道保守派シュッセル政権時代に営業を閉じた、というより、閉じざるを得なくなった。シュッセル政権は財務省独立機関「金融市場監査」(FMA)に「金星銀行」の業務監視を実施させた。米国が不法経済活動の証拠をつかんだことを知った北側は、強制閉鎖に追い込まれる前に自主的に営業を停止した、というのが真相だ。
「金星銀行」は米ドル紙幣偽造、麻薬密売、武器取引などの不法な活動の拠点だったこともあって、米中央情報局(CIA)が早くからマークしていた。北朝鮮の核開発が急速に進展した時代だった。核関連物質、機材などを購入するときには、金星銀行が常に関与してきた。
故金正日総書記への贅沢品調達人、権栄録(クォン・ヨンロク)氏がまだ「金星銀行」の筆頭頭取だった時だ。彼は定期的にドイツのメルセデス・ベンツ社に顔をだし、高級車を大量に購入するものだから、メルセデス・ベンツ社からはVIP扱いされていた。イタリアからの高速ヨット購入で躓いたが、彼は久しく金ファミリーへの調達人だった。「金正日の料理人」の本(藤本健二著)の中にも彼の話が出ている。
カイザー通りで独週刊誌シュピーゲルを片脇に持って歩いているところを目撃したことがある。彼は当時、シュピーゲル誌を読みこなすだけの独語力をもっていた。寡黙で、何を聞いても口を閉じていた。権氏は2009年末、平壌に帰国した。オーストリアの検察庁が安保理決議1718号を無視し、外国貿易法に違反したとして権氏とオーストリア企業を起訴したために、平壌に逃げたわけだ。
蛇足だが、「金星銀行」の左側の隣人はCIAが経営していたテコンドーの道場だったが、「金星銀行」が閉鎖されると、同道場は文字通り、消滅していた。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演の米映画「スティング」(公開1973年)の最後のシーンを思い出したほどだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月9日の記事に一部加筆。