トランプ氏とアブラハムの「交渉術」

ドナルド・トランプ氏は第45代米国大統領だ。不動産王を誇り、“交渉の名手”を自負するトランプ大統領は現在、来年の再選を勝利するために奮闘中だが、 ウクライナでのバイデン前副大統領の家族の不法ビジネス問題に頭を突っ込み、米民主党から大統領弾劾調査を求める声が高まり、応戦に追われている。

▲自分の息子イサクを神に捧げようとするアブラハム、それを止める天使(Biblelearningのネットから)

▲自分の息子イサクを神に捧げようとするアブラハム、それを止める天使(Biblelearningのネットから)

一方、アブラハムは旧約聖書の「創世記」に登場する人物であり、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3大唯一神教の「信仰の祖」だ。それだけではない。アブラハムは人類史上、神と本格的な交渉(ディ―ル)した最初の人物だ。

そこで「ディ―ルの名手」と自負するトランプ氏と神と直接交渉したアブラハムの「交渉術」を振り返ってみた。

アブラハムは神の命令を受け、家族と弟の子ロトを連れ、ハランの地からカナンに向かった。神が不義に満ちたソドムとゴモラを滅ぼそうとした時、アブラハムは神に「その地に50人の義人がいたら、あなたはその町を滅ぼしますか」と尋ねた。神は「50人の義人がいれば、その地を滅ぼさない」と約束する、アブラハムは更に「50人より5人少ない場合はどうですか」と恐れ恐れ聞くと、神は「45人の義人のためにその地を滅ぼさない」と述べた。

神の答えに鼓舞されたアブラハムは「40人だったらどうしますか」と尋ねると、神は「その40人のためにその地を滅ぼさない」と語る、アブラハムは「20人」、そして「10人」とそのハードルを低くすると、神はその度にアブラハムの願いを受け入れた。しかし、その地には10人の義人もいなかったので最終的に硫黄と火が天から降って、滅ぼされた。創世記に詳細に記述されている話だ。

トランプ氏の交渉術はどうだろうか。同大統領の2年半あまりの歩みを少し振り返ってみた。米国ファースト、「米国を再びグレートにする」というキャッチフレーズを振りかざす一方、対外関係では多国間主義を批判し、愛国主義を鼓舞してきた。トランプ氏にとって愛国主義は米国ファーストの別の呼称だろう。トランプ氏の交渉は簡単にいえば米国ファースト、国益最優先を目標に、制裁をちらつかせながら、交渉相手をパワーで跪かす交渉術だ。

アブラハムは神と交渉する際、常に恐れ恐れ打診している。神の怒りを知っていたからだ。アブラハム以降、神とハードな交渉をした義人、聖人は出てこない。イエスすらゴルゴダの丘で十字架に繋った時、「神の御心のままに」と、神に全てを委ねている。けっして「あと数日生かして下されば、ユダヤ人をあなたのもとに跪かさせます」といった条件交渉をしていない。

トランプ氏の場合、「この条件に従え、さもなければ制裁だ」といった強硬姿勢が目立つ。対中貿易交渉では、関税率を25%、それでも従わない場合、30%と税率をアップさせている。アブラハムの交渉姿勢は常に腰が低い。現代風にいえば、当然のことだが、“下からの目線”だが、トランプ氏の場合、“上からの目線”の交渉といえる。

地球温暖化対策が急務といわれている時、トランプ氏はパリ協定から離脱する一方、13年間の外交努力の成果といわれたイラン核合意を破棄し、パレスチナ人の自治権を無視してエルサレムを首都として認知し、米大使館を移転するなど、従来の外交路線を大きく変えていった。

トランプ氏のディ―ルは、対北朝鮮、対イラン、対中政策でも米国の国力を背景として制裁路線だ。もちろん、米国が本当に制裁を実施すれば、どの国も耐えられない。トランプ氏はそれを知っているから、外交の圧力として制裁を武器としてきた。ということは、トランプ氏でなくても米国大統領ならば誰でもできる交渉術だ。換言すれば、パワーを背景としたトランプ氏の交渉では“ディ―ルの名手”とは自負できないわけだ。

ただし、トランプ氏の名誉のために言及すれば、トランプ氏の2年半の外交の最高の成果は対中関係の見直しだろう。中国を世界平和の脅威と受け取り、その軍事的野心にブレーキをかけようとした外交交渉は後日、トランプ氏の最大の功績と呼ばれるだろう。

故レーガン大統領を尊敬するトランプ氏は残された任期、再選した場合の新たな4年間、新しい交渉術を見せてほしい。米国ファーストは国の統治者にとっては当然の路線だが、米国には「神が米国を祝福した」という伝統が息づいている。国民もそれを誇ってきた。トランプ氏はその原点に戻り、世界の平和実現のための外交を展開してほしい。

国益中心の外交は国民を納得させることはできるが、感動を与えることは難しい。トランプ氏には国民を本当に感動させる外交を見せてほしい。米国民は世界の為ならば少しの国益のマイナスなら甘受する度量を有している。米国社会には犠牲精神がまだ息づいているはずだ。トランプ氏は“ディ―ルの名手”を自負するが、その真価はまだ発揮されていないのだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月16日の記事に一部加筆。