ドイツの情報機関、独連邦憲法擁護庁(BfV)のハンス・ゲオルグ・マーセン前長官は11日、ドイツ日刊紙ヴェルトのオンライン・インタビューで、旧東独ザクセン=アンハルト州のハレで9日起きたユダヤ教シナゴーク襲撃事件について、
「我々は新しいトレンドに直面している。治安当局はデモや集会で活動する極右過激派は監視できるが、子供部屋や両親の家に住み、一日中、チャットし、反ユダヤ主義、外国人排斥、女性蔑視に過激化していく極右派を取り締まることはできない。彼らはインターネットを通じて他の過激派と接触するが、治安当局は事件が起きるまで彼らのアイデンティティを掌握できない。事件発生数時間前に彼らのアイデンティティを掴み、事件を犯す前に拘束できるかが大きな課題だ」
と述べ、彼らを“オタク・テロリスト”と呼んだ。
ハレのシナゴーク襲撃を画策したのは27歳のドイツ人、シュテファン・B。彼は自動小銃や爆弾で武装し、シナゴークを襲撃したが、入口の戸を破壊できず侵入できなかったために、シナゴーク内の銃乱射という最悪の事態は回避された。Bはその後、路上に歩いていた女性を射殺し、300メートル先のインビス店を襲撃し、そこで食事中の男性を殺害した。彼は犯行前に明らかにしたマニフェストの中で「悪いのは全てユダヤ人であり、フェミニズムだ」と主張している。
マーセン前長官は「ハレのBだけではない。50人のイスラム教徒を殺害したニュージランド(NZ)のクライストチャーチの犯人もそうだ。欧州、米国、ニュージランドなど至る所でオタク・テロリストが生まれてきた。彼らは事件前は全くノー・マークだ。彼らの存在を事前にどのようにキャッチできるか、深刻な問題だ」と強調した。
ドイツではここ数年、極右過激派が関与した事件が頻繁に発生している。旧東独ザクセン州のケムニッツ市で昨年8月26日、35歳のドイツ人男性が2人の難民(イラク出身とシリア出身)にナイフで殺害されるという事件が発生。それを受け、極右過激派、ネオナチ、フーリガンが外国人、難民・移民排斥を訴え、路上で外国人を襲撃し、多数が負傷した。
マーセン氏は当時、日刊紙ビルトで「ケムニッツ市の暴動を撮影したビデオを分析した結果、極右派が外国人や難民を襲撃した確かな証拠は見つからなかった。ビデオの信頼性に疑いがある」と発言し、メルケル首相らの怒りを買い、BfV長官を更迭された経緯がある。
マーセン氏はインタビューの中で、「BfV長官時代から極右過激派はわが国の大きな問題だと警告してきた」と述べ、「極右過激派の2人に1人は暴力の行使を厭わない」と説明した。
ドイツでは今年6月2日未明、中部ヘッセン州カッセル県でワルター・リュブケ県知事が自宅で頭を撃たれ倒れているのを発見され、収容先の病院で死去した。同殺人事件はドイツ国民に大きなショックを与えた。同県知事はドイツ与党「キリスト教民主同盟」(CDU)に所属、難民収容政策では難民擁護の政治家として知られてきた。事件は同県知事の難民擁護に関する発言がきっかけとなったと受け取られた。逮捕された男性は極右派グループとの接触があったことを認めている。
ドイツの政界では過去、ネオナチ政党「ドイツ国家民主党」(NPD)が2004年から14年の間、州議会に議席を有していたが、それに代わって「ドイツのための選択肢」(AfD)が台頭し、「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」(Pegida運動)などの極右運動が旧東独地域を中心に活発となってきた。AfDには旧東独のドレスデンから生まれた政治運動ペギーダの流れを汲むメンバーが多い。そのAfDは今日、ベルリンの連邦議会で92席の議席を有する大政党となり、ドイツ16州全州で議席を有する政党となった。
難民問題はAfDの躍進の原動力になったことは明らかだ。シリア、イラク、アフガニスタンから100万人を超える難民が2015年夏以降、ドイツに殺到した。その大きな原因はメルケル首相の難民歓迎政策だったことは間違いない。与党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)内でもメルケル首相の難民政策に批判の声が上がったほどだ。外国人排斥、反イスラムを標榜してきたAfDはその流れに乗り、難民歓迎政策を取るメルケル首相を激しく批判し、有権者の支持を得てきた(「独極右AfDを憲法擁護庁の監視対象?」2018年11月5日参考)。
なお、BfVの「2018年年次報告書」によると、ドイツには2万4100人の極右過激主義者がいる。極右過激主義を動機とした犯行件数は昨年2万431件で前年比で微減したが、暴力犯やプロパガンダ罪の件数は増えている(「極右過激派殺人事件に揺れるドイツ」2019年6月28日参考)。
問題は、統計に含まれる極右過激派はデモや集会に顔を出し、治安関係者には程度の差こそあれ知られているが、マーセン氏が指摘したように、統計には入らないオタク型極右過激派がここにきて不気味な存在となってきたことだ。彼らは外との関わりを断ち、インターネットの世界に閉じこもり、ある日、突然、極右過激派として社会を震撼させるわけだ。ちなみに、イスラム教過激派にもオタク型テロリストが出現してきた(「子供部屋のテロリストたち」2007年9月15日参考)。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月17日の記事に一部加筆。