安倍晋三首相が靖国神社に真榊(まさかき)を奉納した件で、韓国外務省は17日、「侵略戦争の歴史を美化している靖国神社に、日本政府と議会の指導者が再び(真榊を)奉納し、参拝を強行した」と批判し、「深い遺憾の意」を表明した。
韓国外務省の遺憾表明は毎年の慣例で、真新しい事ではないが、「日本の指導者が歴史への反省を行動で示すことが、未来志向の韓日関係発展に寄与し、国際社会の信頼を得られるという点を改めて指摘する」と述べた点に少し引っかかった。
特に、「国際社会の信頼を得られる」という箇所だ。その表現には韓国の“上から目線”ばかりか、日本に対する「道徳的優位性」を誇示する響きがある。そこで日韓の戦後の「国際社会への貢献度」について振り返ってみた。日本の読者には当然のことでクドクドと繰り返すテーマではないが、相手側(韓国)はそうではないからだ。
日韓両国で終戦後どちらが国際社会の発展に貢献しただろうか。簡単には「どちら」と答えにくい。そこでノーベル賞受賞の数を見てみた。ノーベル賞の受賞数は「国際社会への貢献度」を比較する上で絶好の目安となるからだ。
そこで生理学・医学賞、物理賞、化学賞の受賞件数を比較すると、日本は27人が受賞してきた。最近では、再生医学のiPS細胞(山中伸弥氏)、がん治療の免疫法(京都大学の本庶佑特別教授)などの分野で日本人はノーベル生理学・医学賞を獲得。今年は吉野彰氏(旭化成名誉フェロー)がリチウムイオン電池の開発で化学賞を受賞したばかりだ。
国際機関への拠出金も久しく米国に次いで第2位だった。これらも「国際社会への貢献」に入るだろう。
それでは韓国はどうか。ノーベル平和賞以外に受賞例がない。すなわち、科学分野では韓国の「国際社会への貢献度」は皆無だ。日米欧が開発した科学関係の発見、知識を利用、それを模倣してきただけだ。
多くの世論調査では「日本への親密感」を有する国が多い。その事実は日本が戦後「国際社会への貢献」を積極的に行ってきた成果だろう。奇妙な現象だが、中国共産党政権と独裁国家の北朝鮮を除くと、アジア近隣諸国で唯一、韓国は日本を常に糾弾し、反日を学校教育でも推進している。
韓国側は「歴史の反省を行動で示せ」というならば、ベトナム戦争時の韓国兵士のベトナム人女性への性的蛮行やライダイハン問題(韓国兵とベトナム人女性の間で生まれた子供たち)はどうなるのか。その件数は通称・慰安婦の数よりはるかに多い。ベトナムの国民性に助けられ、韓国兵士の性犯罪は国際問題に拡大されていないだけだ(「文大統領、ベトナムに『心の負債』」2017年11月16日参考)。
日韓で過去の問題で相手を批判し、罵りあっても実りが少ない。そこで日韓が「国際社会への貢献度」で競い合うのはどうだろうか。勝手な思い込みや国益の観点に基づいた「歴史の正しい認識」問題ではなく、「国際社会への貢献」を挙げ、日本と韓国が競うことこそ「未来志向の日韓関係」ではないか。少なくともフェアだ。
相手国を批判し、相手の悪い点を拡大し、それを他国に輸出することは慎むべきだ。国家の品格を失うだけでなく、憎悪の輸出は他国にも悪い影響を与えるだけだ。賢明な人ならば、反日は「韓国民族の劣等感の反映」と受け取るだろう(「韓国は『憎悪』を輸出すべきではない」2014年1月20日参考)。
韓国は「国際社会への貢献度」で日本より劣っている。それは、日韓併合、日本の植民地化時代の結果ではない。「全て悪いのは日本のせいだ」という論理は「国際社会の貢献度」を考える上では通用しない。
韓国が取るべき道は日本の貢献度から学び、近い将来、それを追い越すという気概をもつことだろう。
文在寅大統領よ、「国際社会への貢献度」で日本と競うべきだ。自国より優れた点があればそれを吸収し、それを利用して国際社会の発展のために貢献すべきだ。韓国の「国際社会への貢献」が広がれば、それだけ、国際社会からの尊敬を受けることにもなるし、ノーベル科学賞を得るチャンスはきっと拡大するはずだ(「韓国にノーベル賞受賞者は出る」2015年10月9日参考)
韓国は近い将来、「国際社会への貢献度」で日本を追い抜くこともあり得るだろう。繰り返すが、その成功のカギは妬み、恨みではなく、相手(日本)の良さを正しく評価し、その良さを学び、吸収できるか否かにかかっている。
「国際社会への貢献」について日韓首脳が議論を交わすような時がくれば、世界は注目するだろう。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月19日の記事に一部加筆。