戦争賠償:韓国はオーストリアに倣え!

韓国は『ドイツに倣え』というが…」というコラムを掲載したが、読者から「韓国はオーストリアに倣え」というコメントを頂いた。このコメントは非常に正鵠を射ている。韓国の戦後の対応は非常にオーストリアのそれと酷似しているからだ。ただし、オーストリアは戦後問題の課題を克服できたが、韓国は依然、苦慮している、という違いはある。以下、少し説明する。

▲「漢江の奇跡」をもたらした韓国の朴正煕大統領

▲「漢江の奇跡」をもたらした韓国の朴正煕大統領

オーストリアは1938年、アドルフ・ヒトラーを率いるナチス軍に併合された。その段階でオーストリアは消滅した。
韓国は1910年、日本に併合された。その段階で国際法的に韓国は消滅した。

ナチス・ドイツ軍は敗戦し、オーストリアも敗戦国となった。
日本は敗戦した。しかし、韓国は「わが国は旧日本軍の占領下にあって民族の自立のために戦ってきた。だから、戦勝国だ」と主張し、戦勝国入りを希望したが、米国ら戦勝国から拒否された経緯がある。

オーストリアは戦後、久しく、ナチス軍の戦争犯罪の最初の犠牲国と主張。世界ユダヤ協会から「オーストリアはナチス軍の戦争犯罪の共犯」と反論された。
韓国は戦後、旧日本軍の植民地政策から解放されたと受け取り、日本に戦争賠償を機会ある度に要求してきた。

オーストリアでワルトハイム元国連事務総長が大統領に立候補すると、同氏のナチス戦争犯罪容疑が浮上し、世界ユダヤ協会やメディアから叩かれた。欧米諸国はワルトハイム氏が大統領に就任すると、対オーストリアへの外交制裁に乗り出した。

韓国の朴正煕政権(当時)は日本から日本統治時代の補償金性格の援助金を入手し、それをもって韓国の国民経済を復興させた(「漢江の奇跡」と呼ばれた)。その後、韓国では日本に対して反日運動が高まり、慰安婦問題などを掲げてを日本を批判し、歴史の清算を要求してきた。

オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯だったことを正式に認めたのはフラニツキー政権(任期1986年6月~96年3月)が誕生してからだ。フラニツキー首相はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と公式の場で初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。そこまで到達するのに半世紀余りの歳月が必要だった(「ワルトハイムと民族の『苦悩』」2018年4月7日参考)。

韓国は戦争で日本の植民地から解放されたと受け取り、日韓併合の歴史的事実を無視、日本の戦争責任を追及して今日に至る。

以上、簡単にオーストリアと韓国両国の戦後の動向をまとめた。両国が酷似しているのは、日韓併合、ナチス・ドイツへのオーストリア併合(Anschluss)、そして戦争犯罪の関与を否定してきた時までだ。一方、相違点は、上述したように、オーストリアはフラニツキー時代に大きな転換をし、戦争責任の共犯を認めたが、韓国は日韓併合という歴史的事実すら否定し、韓国は日本の植民地政策で弾圧され、第2次世界大戦で解放されたと受け取ってきた。だから韓国は「オーストリアに倣え」という檄が飛び出してくるわけだ。

韓国も過去、歴史の見直しのチャンスがあった。朴正煕大統領時代(任期1963年12月~1979年10月)だ。「高木正雄」という日本名をもつ彼は旧日本軍に所属し、旧日本軍と共に戦った体験がある。すなわち、日韓併合を体で経験した政治家だった。彼がオーストリアのフラニツキー首相のように、「わが国は日本と同様、第2次世界大戦の敗北国だった。戦争責任の一部は韓国側にもある」と表明すれば、大きな転換となっただろう。文在寅現政権のような、歴史の書き換えは生じなかったかもしれない。

オーストリアは「歴史の正しい認識」まで半世紀を要した。韓国は戦後70年以上を経過したが、依然、民族の歴史を直視できないでいる。韓国よ、オーストリアに倣え!

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月23日の記事に一部加筆。