追悼:東北新社 植村伴次郎さん 〜誰でもテレビ局になれる時代の礎築く

植村伴次郎さん(出身地の秋田県由利本荘市HPより引用=編集部)

赤坂御所の向かいに東北新社の本社があります。
映画、テレビ、CMはじめ日本の映像産業を発展させた大企業。
創業者、偉人、植村伴次郎さん。

このところあまりお見かけしていませんでした。
その訃報が即位礼の少し前に飛び込んできました。
享年、90。この雨は、その雨だったか。

32年前、NHKがBS放送を始めました。CS(通信衛星)でも映像が送れるようになりました。

全国のCATV局に映像をCSで送って家庭に届ける「スペースケーブルネット」。当時ぼくは郵政省でこの担当でした。それまでビデオを運送していた東北新社もCSにシステムを変えました。

ぼくは許認可権を持つ全国のCATV局より、それまで役所が付き合ってこなかった東京の映像コンテンツ会社の対応に力を入れました。映像を送れるとはいえ、CSは通信なので送信先を特定しなければなりません。CATV局宛てならいいけど、不特定の家庭がパラボラで直接受信するのは違法でした。

違法はダメよと監理するのがぼくの立場でした。
でもそれでは市場が限られます。

壁を壊そうぜ。
規制緩和を迫る業界代表の植村伴次郎さんとずいぶん話しました。飲んで、食いました。
とはいえぼくの父親世代の大立者、「お前がダメだからダメなんだ。」ぼくは叱られてばかりでした。

植村伴次郎さんはじめ映像企業、商社、銀行(当時まだ元気だった)、メーカーなど多くのかたがたが努力し、役所も政治も動かし、CSを使う放送の制度ができました。

映像会社が放送局になる。全国にコンテンツを発信できる。数十社が参入できる。
超特大の規制緩和でした。

戦後、NHKと日テレがテレビ局を開局、1957年に30歳台で郵政大臣となった田中角栄さんが全国の新聞社系列に民放免許を出しテレビ産業を確立しました。

ぼくはこれが日本の第一映像政策と位置づけます。以来30年ぶりの、第二映像政策がCS放送の解禁。

誰もがテレビ局になれる。それがその10年後のブロードバンド時代につながった。
今のスカパー!に連なる映像チャンネル群は無論、YouTuberにしろAbemaTVにしろ、今の日本の映像文化はこの制度改正が礎になっていると考えます。
その土台づくりに突き進んだのが植村伴次郎さん。

当時、CNNの放送解禁の立場から同じく運動なさった小林樹さんも先に鬼籍に入っておられます。
昭和はすっかり遠く、令和の即位礼です。

ニューメディアの立役者、小林樹さん

ぼくがコンテンツ政策屋になり、規制緩和屋になったのは、この政策がきっかけです。
当時から植村さんのスピリットを手本にしてきました。スペースシャワーや吉本興業の社外取締役を務めることになったのも、このころからのおつきあいがあってのこと。

90年代に入り役所からパリに派遣されてスパイをしていたころ、カンヌの映像祭にこっそり参加しました。

ぼくは生まれたばかりの次男を抱っこひもで抱え、ネグレスコホテルのトイレで用を足していたら、隣に連れションで立ったひとが「こっちはどうだい」と日本語で聞く。ギョッとして見たら植村さんでした。

業界も政官も一目置くというか、畏怖する植村さんは、そういうお茶目も持ち合わせますが、ぼくがパリから大臣官房に戻ってから、部屋にやってきて、職員リストを片手に「○☓をつけろ」と詰め寄る。話す値打ちのある局長・課長は誰で、ダメなのは誰か印せって言うんですよ。
恐ろしいなぁ。勘弁してください。

でも一回応じたところ、一年後「お前の評価は当たってた」。
それから毎年、人事異動後に来られましてね。同じことさせられてました。
今ならぼくは、機密の漏洩ということで、野党から責められることでありましょう。

今ぼくのオフィスは本社の真裏にあります。
東北新社のかたがたとは、役員から新人まで、遊んでもらっています。

ご子息の植村徹社長にはiUの超客員教授をお願いしています。ご遺志を次の世代に渡していこうと存じます。合掌。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年10月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。