「飲み会で上司のお酒を空にしない」は本当に良い気遣いなのか?

こんにちは!黒坂岳央(くろさかたけを)です。
※Twitterアカウントはこちら→@takeokurosaka

5ch(2ch)で会社の飲み会で「上司のコップを絶対空にするな」と言われ全員のコップ見ている必要があるんだよなというスレッドが立ちました。250を超えるコメントがついており、賛否両論あるようです。

かくいう私も、会社員時代は「上司の酒を空にするな!」とこの「わんこそば」スタイルの指導を受けたことがありますので、スレ主の理不尽な気持ちはよく理解できるつもりです。

cheetah/写真AC

これから年末にかけ、お酒を飲む機会も増えてくるでしょう。飲み会で消耗しないために、考えを述べておくことにします。

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お酒を空にしてはいけない、という歪んだ前提条件

そもそも、「飲み会の場だからお酒は常にMAXに注がれている」というのが前提条件として機能しているのが不思議に感じます。飲み会はお酒を飲み、円滑にコミュニケーションをする場です。そしてその会場にはいろんな事情やバックグラウンドを持っている人が集まります。

  • 体質的にお酒が飲めない人
  • 飲みすぎないよう、1杯だけにしてセーブしている人
  • それ以上飲まなくても満足している人
  • 自分のペースで飲みたい人
  • 好みのお酒を飲みたい人

いろんな個々人の事情があるのです。にも関わらず、一部の「飲み会で上司のお酒を空にするのは、気遣いができていない」という表層的儀式を信仰する一派により、このわんこそばスタイルが多様性が価値を持つ時代に生き残っているのです。

様々な事情や気質、価値観が評価される多様性の時代においては、「違い」を尊重し、合理的配慮をすることが新たな価値を創造します。しかしながら、「飲み会の場ではこうだ」という参加者全員にアプライしようとする姿勢は、前時代的で現代の多様性への挑戦であるように感じます。

参加者は都合の良い「ホステス」役ではない

転職で入社したばかりの会社で、私の歓迎会がありました。

歓迎会ということですので、言葉通りの意味合いで考えると主役は私です。が、参加者の中で一番の新人で年齢も若かった私は、お酒を注いでまわることを期待されていたようです。翌日、その振る舞いができなかったことで上司からかなり叱られてしまい、後日2人で飲み屋にいって「気遣いとは?」「飲み会における新人の振る舞いとは?」を教わりました。

その後、飲み会が開かれると、私は各テーブルで周囲のお酒の残りの残量をチェックばかりしていました。課長、部長クラスが飲み終えるとすかさずお酒を入れます。ある時、後輩社員と挨拶をしてそのまま意気投合し、楽しく話をしていたら「こら!お酒が空になってるぞ!」と叱られ、慌ててホスト役に戻ることになったのです。残りの時間は、再びお酒の残量チェックし続けて終わりました。

飲み会の本質は、会社ではできない胸襟を開けたコミュニケーションを取ることと理解しています。それが飲み会を開催する労力、時間、経費を払って開催する意義であり、ビジネスメリットにつながると考えています。参加者が都合の良い、ホスト、ホステス役に徹するために参加する意義もメリットもどこにもないと考えます。

ごく一部の人はそのような対応を受けて気分が良くなるかもしれませんが、させられている側には会社や上司へのロイヤリティは生まれませんから、トータルではマイナスが大きい公算です。

つまりは、この「わんこそば」スタイルは本質的ビジネス上の価値はどこにも存在せず、それを盲目的、思考停止状態で良しとする一派の「幻想」に過ぎないということです。参加者全員が価値があると信じることで成り立っている「砂上の楼閣」文化なのです。

される側も嬉しくない「わんこそば」スタイル

このようなことをいうのははばかられるのですが、私は会社経営者となり、講演活動をするようになってわんこそばスタイルを「する側→される側」へと立場が変わりました。

立場が変わったことで、ホステス役に徹することから開放されましたが、逆にお酒を注がれる立場も、決してありがたいものではないことに気づきました。

1杯目はだいたい、ビールになることがどの飲み会でもスタンダードですが、2杯目からは自分の好きなものを好きなタイミング、好きなペースで飲みたいと思うものです。にも関わらず、「どうぞどうぞ!」と勝手に注がれてしまうと、いつまでもお目当てのドリンクを楽しめません。

また、せっかく気を使って注いでくれた相手に申し訳ないので、飲みたくなくても飲まないわけにはいきません。私は最近、筋トレを本格的に取り組んでいて、なるべくアルコールを飲まないようにしています。ですので、注がれるとかえって困ってしまうこともあるのです。

結論的には、このような勝者を産まない儀式的、表層的文化はさっさと廃止するべきだと考えます。気遣い、とはする側もしてもらう側も気持ちよくなる「マナー」の一環だと考えます。個人の価値観を犠牲にして優先させる儀式なんて、ない方が世の中が生きやすくなるのではないでしょうか。

黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表

■無料で不定期配信している「黒坂岳央の公式メールマガジン」。ためになる情報や、読者限定企画、イベントのご案内、非公開動画や音声も配信します。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。