英語民間試験活用延期の責任と文科省の怠惰

八幡 和郎

2020年度(2021年春)に始まる大学入学共通テストの英語に導入予定だった民間検定試験が延期された。5年間延期して制度設計をやり直すそうだ。

もし、受験会場とかの問題だったら1年延期すれば十分なので、民間試験でなく統一で同種の試験を使うことにするとか、断念するとか言う方向になる可能性も垣間見える。

ぱくたそ

英語民間試験はいまの大学入試センター試験を引き継ぐ共通テストの英語で導入される予定だったが、「読む・聞く・書く・話す」の「4技能」を英検やGTECなど6団体7種類の試験を活用しようとしていた。

発端は、2013年10月に、「教育再生実行会議」が「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」を提言し、2014年12月に中央教育審議会が、2020年度からの新学力評価テストの実施と民間検定試験の活用などを答申し、2017年に文科省がセンター試験に代えて大学入学共通テストの実施、国語と数学の一部に記述式問題導入などとおもに、英語民間試験利用などを発表していた。

2020年4~12月の間に現在の高校2年生の生徒が最大で2回受け、大学入試センターから成績を大学側に提供する予定だった。

そして、センターは1日から受験に必要な共通IDの発行申し込みの受け付けを始める予定だったので、延期するとすればラストチャンスだった。

民間試験を巡っては、複数の試験を比べるのは無理があるとか、試験会場が少ない地方の受験生らに不利だとかいう懸念が出て、東北大学を除く旧帝大が不採用を決めるとか、全国高等学校長協会が9月に文科省に延期を要請して話題になっていた。

萩生田文科相は「経済的状況や居住地にかかわらず、等しく安心して受けられると自信をもっておすすめできるシステムになっていないと判断した」「試験会場の確保を民間任せにした点もよくなかった」「文科省と民間試験団体との連携が十分でなく、準備の遅れにつながった。これ以上判断を遅らせることはできない」そうで、民間の活用そのものの見直しにも含みを持たせたという。

もしかすると、文科省は新しい英語試験の組織をつくって天下り先にと思っているのかもしれない。

準備期間は十分にあり、すでに高校生たちも導入を前提に勉強してきただけに、文科省の大失策である。というより、準備期間が長すぎてタイミングを失したのかもしれない。

複数の試験の評価は難しいが、ヨーロッパではCEFRという「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment)」が確立しており、比較ができないということはない。

旧帝大が使用しないとしたことは、そもそも、旧帝大だけは独自で試験を行えるスタッフが育っているということと、英語教育については、 4技能を優先する世間の風潮に対して象牙の塔的な一流の英文学者たちが、現行の受験英語至上主義にこだわっているという背景もある。

高度な読解力が必要というのも分からなくもないが、それは、旧帝大などですら英語の日常会話が満足にできない学生を育てているほうがよほど馬鹿げていると思う。

地方の生徒に不公平だとか、受験料が高額というが、それなら、現在、個々の大学で無駄に入学試験を行っていることのほうが、受験料だけでなくわざわざ東京などに受験のために来させているわけで、そっちの方を改善して欲しい。

たとえば、広島県の高校生が1日がかりとか1泊して広島に行かねばならないから不公平だといいながら、東京に大学ごとに何回も行ったり来たりせざるを得ない現状に比べれば軽微なことだ。

私立についていえば、入試は受験料を稼ぐことが主眼になってしまっている。私は基本的には、試験は私立も含めてセンター試験に一本化し、内容を豊富にして、その試験の結果をどのように使用して合否を決めるかだけ各大学が考えればいいことだと思う。

科目ごとの比重はもちろんだが、問題ごとに配点を大学ごとにしたっていい。そんなことは採点プログラムをコンピューターに組み込めば簡単だ。

また、個々の大学が独自の追加試験を行う場合も、地元の共通会場ですべての大学の試験を受験できるようにすれば良い。たとえば、国立大学の試験をひとつの会場で、それぞれが希望する大学の問題をもらって書くことなど難しいことではない。とくに問題を端末から受け取って答案用紙は共通とかにしてもいいのだ。また、3日くらい連続にして、3つの試験を受けられるようにするなどでもできる。

いずれにせよ、今回のドタバタは、あちこちに配慮ばかりしてダイナミックな教育改革には後ろ向きな文科行政の問題点を浮き彫りにしたと思う。もう、事務次官などの要職に大量の非プロパーを出向で集めて組織改革をして、前川喜平的なムラ擁護の体質から脱却してほしいものだ(プロパーをいったん中枢から外すと言っても霞ヶ関のなかで処遇は可能であって彼らを排除しようという意味ではない)。


八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授