この記事は、前回記事の十二国記に見る「女性ならではの視点」の本当の意味の後半です。
前回は、累計一千万部を突破する名作シリーズであり、18年ぶり新刊が出て「祭り」になっている「十二国記」の紹介と、「女性作者が書いたアルスラーン戦記や銀河英雄伝説」と呼ばれる評判とは違って、「女性作者ならではの特殊な設定」が男には入りづらいところがある…という話をしました。
しかし、その「女性ならではの設定」は、男から見ると非現実的なようでむしろこの現実世界を非常によく反映しているかもしれず、その視点を持つことで一気に「今までなかった世界観」を取り込めるようになった…という話でした。
今回は、紛糾しがちな「フェミニズムなどの意識高い系の思想」と「日本社会」の関係について、十二国記的視点からの新しいアプローチによって罵り合いを回避し、「他になかった視点」を日本の中に実現していくことが必要なのだ、という話をします。
現代社会における”女性のエンパワーメント”はこの道で行われるべき
最近ネットを開くと人権派やフェミニズムとかそういう「意識高い系ムーブメント」が「日本社会」を徹底的に呪詛する声が溢れていますよね。
個人的にはフェミニストの言うことの8割ぐらいは、まあ最終的にはそういう差別がなくなればいいよねえ、ぐらいには思ってるんですが、彼らが攻撃する「日本社会のある部分」は単純にロリコンでガサツで人権のなんたるやをわかっていない日本の男どもの世界基準から見て呆れ果てるゲスさのためにあるんではなくて、ある種の血も涙もないグローバル資本主義に対する防波堤として切実な「機能」があって存在しているところがあるので、ただ「やめろ」っていうだけではやめられないんですよね。
私の5年ぶり新刊「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」の図から引用しますが、
こんな感じで、欧米的基準を持ってきて「ダメ」って言うのではなくて、「古いものの中にある価値」をどうやって現代的にOKな形で再現できるかについて真剣に考えていけば、いずれあれだけ罵り合っていたのが嘘のように、「なくしたほうがいい風習」などはキレイサッパリゴミ箱に捨てられるように自然になるでしょう。
私は学卒でマッキンゼーというアメリカのコンサルティング会社に入ったのはいいものの、そこで展開される「方法論」と、いろんな意味で「日本的なるもの」とのギャップがあまりに大きい現状にだんだん心を病んでしまい、その後「日本という国の”現場を知る”旅」と称して肉体労働やら新興宗教団体への潜入やら色んなことをやった後、中小企業向けのコンサルティングや、前述の「文通を通じて個人の人生の戦略を考える」みたいな仕事で日本の今を生きる「老若男女いろんな立場の人」と触れ合う仕事をしています。
巨大なグローバルIT企業や原理主義的な金融資本主義への厳しい批判がなされるようになり、「時代の振り子」が逆側に振れてきている今、むしろそういう「欧米的世界観によるグローバルな流行」に乗らずに内輪で引きこもり、結果として守り通してきたモノの中には、今後の人類全体にとっての新しい希望になりえる萌芽みたいなものが眠っていると感じています。
以前の記事などで書いたように、「一部のインテリとそれ以外が果てしなく分断される欧米社会の悪癖を超えるための、中間集団を破壊しない最新型の資本主義」も見えてきつつある。(1回のコラムでは詳しい話ができないのでご興味あればリンク先の記事等読んでいただければと)
「女性として生まれて日本社会に育ってみれば、男としてノウノウと暮らしてきたテメーにはわからない苦労をするんだよ!」…ということなのかもしれませんが、同時に「日本社会において男として期待される責任を感じずに生きてきたアンタにはわからない、日本社会全体でちゃんと協力しあって欧米社会にはある破滅的な分断を起こさないように抑止するシステムってものもあるんだよ」という感じがします。
これは表裏一体の問題だから、「どっちも」解決できるようにならないと「片側だけ」は解決できない種類の課題なんですね。
欧米由来の「こうあるべき」的な基準を日本にもってきて「そうなってないのはカス」って言われると、そもそもその基準が本当に「人間社会を幸せにするのか」のレベルから議論したくなりますし、人類社会に占める欧米社会のGDPの割合が減り続ける21世紀にはそういうゼロベースで議論する態度がむしろ切実に必要だと思ってしまいます。欧米的な理想を本当に全世界的に社会にインストールしたいと思うのなら余計にね。
一方で、「十二国記にハマるような女性の意思」の中には、切実に「男が持っている世界観に欠けているもの」が濃密に詰まっている感じがします。
女性の「その部分」がちゃんとエンパワーされていくことは、男側の切実なニーズにも叶うことですし、お互いが自分でこしらえた「人工的な基準」に相手があてはまってないからと罵り合うよりも、どうしたらこの社会の中で人びとが幸せに暮らせるのかを真剣に考えていく「潮流」が生み出せれば、それは日本発の世界の希望になるでしょう。
最近、オバマ元大統領が「最近の若い人みたいに他人に石を投げてるばっかりじゃ何も変わらないよ」とか言ってたのが話題になっていた事からわかるように、こういうのは「全世界的な傾向」として生起しつつあります。
先日書いた「モーツァルトが既に描いていたフェミニズムの行く先」というブログ(この記事がお好きな人は楽しめると思います)の最後でも書いたとおり、世界的なフェミニズムの最先端は「徐々にこういう課題に向かいつつある」ように私は感じていますし、なにより例の「クライアント」の女性には「昔からの延長でノウノウと生きている男」とは比べ物にならないぐらい「ちゃんと考えている」人もいるなと体感するようになってきているところです。
「女性のエンパワーメント」が、なんか男のやっていることで気に入らないことを全部端から攻撃しまくることを容認すること・・・なら、それは強烈な反発も生まれるでしょう。
しかし、「女性のエンパワーメント」が、社会に対する「十二国記的」な女性ならではの視点がちゃんと還流するようにし、無駄な罵り合いではなく「実質的な問題の解決に迎える態勢を整えることが第一である」という意思であるならば、むしろ日本のネット右翼さんとかですら「我が意を得たり」と思う要素もたくさんあると私は思っています。
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…そういう観点から、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」という直球なタイトルで、私の5年ぶりの新刊が今度でます。
以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、このブログに共感いただいた方はぜひお読みください。
また、同じ視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)
この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける…東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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