この記事の要約
ある「少年ジャンプをいまだに買っている友人」から、フェミニストと少年ジャンプ(集英社)の間のバトルが勃発しているらしい・・・という話を聞きました。
少年ジャンプの編集者になりたい女子学生が、「少年の心を持ってないとダメ」と断られた(とその女の子は思った・・・実際には”女性ファッション誌の編集部であれば、性別関係なく女性のおしゃれ心を理解できることが必要ですし、少年マンガであれば少年の心がわかることが大切でしょう”・・・ということで、別に”少年の心を持った女性”を拒否しているわけではなさそうですが)話が炎上したことが原因らしい。
そのことについて考えてみたいんですが、とりあえず内容を三行でまとめると、
- 少年ジャンプも苦境であり、何らかの新機軸が欲しいとは思ってるはず
- ディズニーは「看板を下ろした」のではなく「さらに突き抜けて」アップデートされた
- 「少年ジャンプのコアは何か」を迎えに行って理解することに対して、インテリのフェミニストは責任を果たすべき
という感じです。では以下本文。
1. 少年ジャンプも苦境であり、何らかの新機軸が欲しいとは思ってるはず
私は今40歳で、いわゆる「ジャンプ黄金期育ち」なので、ハンターハンターですら「自分より下の世代の漫画」感が正直あり、ワンピースも読んだことがないので、今のジャンプの連載陣を(ハンターハンターとワンピース以外)ひとつも知りませんでした。
私は経営コンサルティングのかたわら、「文通を通じてあなた個人の人生に寄り添って一緒に考えましょう」みたいないわゆる”コーチング的”な仕事もしていて、そのクライアントのある女性(同世代)が、出版業界の人だとはいえ「いまだに毎週買ってる」って聞いた時には・・・ってマジカヨソンナヤツイルノカ・・・と思ったぐらいで(笑)
その人いわく、
・そもそも今の少年ジャンプ漫画のうち主人公が少女なのが3作ある
・ラッキースケベとかハーレムモノみたいな「構成」が批判されるが、その「形式」に慣れさえすれば、むしろ少女漫画の男の方がオラついていてマッチョな感じで女性の意思を尊重しないような態度を取りがちなのに対して、女性キャラ一人ひとりの個性を理解して寄り添おうとする態度がある作品は多い
・・・だ、そうで、そもそも叩く前に「スラムダンクとかドラゴンボール」ぐらいのイメージのまま叩いてるんじゃないかという指摘は一応ありえるのかな、と思いました。ツイッターで検索しても、誰も「今の連載」に触れてない(笑)
「このシーンが女性差別だ!」って盛り上がってるのがせいぜい「バクマン(2012年終了)」とかで、これは逆説的に「今のジャンプの苦境」を表わしているんではないかという気がします。誰にも今の連載を印象づけられていないってことですからね。
僕も今回この記事書くために今週号買って読んだんですが・・・うーん。対象世代じゃないのも原因だろうけど、「昔ジャンプにあった漫画っぽい何かだなあ」という印象になってしまったのは正直なところでした。でもここから「育っていく」途上のものもたぶんあると思うんですが・・・
今年の夏に、「アフタヌーン」ていう月刊漫画雑誌の電子書籍版2018年度ぶん12冊が100円ていうセールでたまたま12冊知らない漫画だらけの月刊漫画を読んだんですが、その時はあの手この手で色んなタイプの漫画があって、「凄いなあ、日本のコンテンツの裾野は広いなあ」と思ったんですが、それに比べるとジャンプは既視感あるものが多かったかも?
だから、ジャンプ側だって何らかの「新機軸」が欲しいとは思っているはずで、ただそれがちゃんと具体的な形にならないと取り入れられないし、彼らが「守っている伝統」みたいなのもあるから具体的提案がないのに批判する声ばかり高まっていけばさらに貝のように引きこもらざるを得ないのは明らかだと思います。
2. ディズニーは「看板を下ろした」のではなく「さらに突き抜けて」アップデートされた
こういう時によく引き合いに出されるのがディズニーなんですが、ディズニーがいわゆる「伝統的なディズニープリンセス」時代を超えて、「女性の自立とか自由とか意志とか」を描き始めたのは、単に批判に対してハイソーデスカと受け入れてそうなったという感じではないですよね。
「魔法にかけられて」とかの時にまず一度ディズニーの伝統自体をメタ的に解釈して脱皮し、その先に「レット・イット・ゴー~ありのままで~」とか「21世紀版のアラジンの”スピーチレス”」とかの成功がある。
このプロセスの中でディズニーは、「自分たちが守り続けなくてはいけない価値は何か」について妥協せずに維持しているし、だからこそ「レット・イット・ゴー」とか「スピーチレス」の炸裂するような新世界もあるわけです。
一時期、ウチの妻が「スピーチレス」にハマって家でしょっちゅう流れてたんですが、新しいアラジンのお姫様は単に「自分が王になりたい」というだけでなく「王になるからにはちゃんと王としての責任が果たせる知識や経験を身に着けなくちゃ」的な感じのテイストがあるのが素晴らしいと思います。
単に「古い世界に対する批判者」でなく「あたらしい世界を構想し、提案する主体」に脱皮する意志が、「女性のエンパワーメント」の世界的潮流の最先端の中には萌芽として見えつつある。
それがもっと育っていけば、「男社会」側がフェミニズムに反対する理由が根っこから消えていくと思うので、どんどんやっていってくれたらと思っています。
要するに「王子様のキスで目覚める深窓のお姫様」的な装いは変えたけど、ムーランとかポカホンタスとかから続く、「ディズニープリンセスとしての矜持」みたいなものは維持されているんですよ。
「プリンセス」的な話の構造を考えなしに崩壊させると、「レット・イット・ゴー」とか「スピーチレス」的な突き抜け方の源泉もまたなくなってしまうんですね。
だから、この「あたらしいディズニーのやり方」が見えてくるまでは、ディズニーはむしろ保守的なコンテンツメーカーだと思われていたし、それを変えろという声に対しても毅然として「ディズニーとして守らなくてはならない価値」があるから拒否していたはずです。
「あたらしいスタイルでもディズニーの価値観を維持できる」目算ができたことで、むしろ一気に「あたらしいスタイルの最先端」に脱皮することができた。その「目算」ができるまではむしろ保守的な態度を崩さないでいることが必要だったところがあるわけです。
「現代の風潮に妥協」するのではなく、「現代の風潮の先へ突き抜ける」ことによってブレイクスルーが生まれた。
だから少年ジャンプにおいても、そういう「少年ジャンプらしさ」をどうやったら消さないままブレイクスルーが起こせるか、スラムダンクや聖闘士星矢やキャプテン翼やジョジョやナルトやその他、世界的な共感を読んだような「突き抜け方」を、現代風のポリコレ的にもOKな形で再現するにはどうしたらいいか?という問いにみんな熱中すべきで、その「あたらしいスタイル」が見いだせないままに批判だけしてたら、その「美点(の源泉)」を維持するために拒否し続けざるを得なくなってしまうわけです。
こんな感じ↓で、「ゴミの山の中のダイヤ」を選り分ける作業をちゃんとしないと、前には進めない状況なんですね。
ドラゴンボールとかスラムダンクとか、ある種ちょっと奇跡的な「突き抜け方」をしてると思うんですが、その「突き抜け方」はある意味で女性を「従」のポジションに置くことで成立していたところが確かにあるのかもしれない。
日本国内における女性の発言権が増してくると同時に、意見集約が難しくなって混乱してしまい、その「少年ジャンプの突き抜け方」をなんとか維持するための当座の防衛策としての「ハーレムもの」とか「萌えアニメ」とかが生まれてきているのではないか、とすら私は思っています。
だから、単に「日本の男はゲスだ」とか言っててもやめるわけにはいかない事情もあるわけです。どうやったらコレが解決できるかというと、
むしろ女性の意志をも取り込んで「少年ジャンプのコアの価値観の突き抜け方」を男女協力して押しあげていくようなムーブメントを実現すること
しかないです。
少年ジャンプ好きの女性なんて世界中に溢れるほどいるわけで、むしろ主体的に「少年ジャンプ的価値観」を取り込み、「少年」よりももっと「少年ジャンプ」を追求できる女性・・・の参加をどう促していくのか、について、私たちは考えなくてはいけないはずです。
3. 「少年ジャンプのコアは何か」を迎えに行って理解することに対して、インテリのフェミニストは責任を果たすべき
これは何も、実質的に少年ジャンプ編集部に入りたいけど入れなかった女子学生さん本人がそこまで考えろ、という話じゃないんですよ。誰だって不満があれば不満を言うのはいいし、提案以前の批判しかできない弱い立場に現状置かれてしまっている人だって当然存在するでしょう。
しかし、この問題をSNSで取り上げて改善を迫る人の中の、ある程度社会知識も知恵も知性もある人は、この
ディズニーで起きたブレイクスルーを少年ジャンプでも起こすにはどういう話であればいいのか?
について考える能力とそれについて真剣にやる責任があるはずですよね。
それも、「ダメなとこダメ」って言うのじゃダメで、「一番良いところ」を現代的にOKな形で再現するにはどうしたらいいか?について考えることをやるべき。
ディズニーにある程度大時代的な「プリンセス」の構造が残っていたからこそ、レット・イット・ゴーやスピーチレスの「爆発」があったように、ある程度古いタイプの「少年漫画のお約束」があったからこそ、新時代に「そこに秘められていた価値」が爆発する・・・という展開はこれから十分ありえると思います。
むしろその部分には「今の欧米的価値観の盲点になっている部分」すらあるからこそ、「なんで欧米みたいになんないの」という声だけが高まっていると余計に「防波堤としての少年漫画のお約束」に引きこもらざるを得なくなってしまう構造になっているんですよね。
その「欧米的価値観から盲点になってしまっている部分」記事一本分では書ききれないので、
などをお読みいただければと。
一部のインテリとそれ以外が果てしなく分断され、個々人がグローバル資本主義の中の無力な砂粒とされてしまうような「欧米社会の基本モード」自体を今アップデートしなくては、その欧米的理想自体が危機にさらされてしまう時期に来ており、それは上記3つの記事に書いたような「日本に生まれつつある、中間集団を破壊しない最新型の資本主義」として結実しつつあると私は感じています。
その「日本から生まれるあたらしい希望」の潮流の中で、「あたらしい少年ジャンプの突き抜け方」が定義できれば、その時はじめて「いわゆる性差別」的なものを日本がやめることが可能になるでしょう。叩きやすいところを叩いているだけで、そういう「あたらしいチャレンジ」がエンパワーされないままだと、日本が本当に次の段階に進むことはできません。
「罵り合いではなく、あたらしい時代の提案」にこそエネルギーが使われるべきです。
・・・そういう観点から、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」という直球なタイトルで、私の5年ぶりの新刊が今度でます。
以下のリンク先↓の無料部分で詳しく内容の紹介をしていますので、この記事に共感いただいた方はぜひお読みください。
また、同じ視点から、紛糾続ける日韓関係や香港問題などの「東アジア」の平和について全く新しい解決策を見出す記事については、以下のリンク↓からどうぞ。(これも非常に好評です。日本語できる韓国人や中国人へのメッセージもあります)
この視点にみんなが立つまでは決して解決しないで紛糾し続ける・・・東アジア問題に関する「メタ正義」的解決について
倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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