表現の自由って何だろう?

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で表現の自由が大きく議論されました。この行方はいまだに明白ではありません。が、はっきりしていることは「表現の自由」はどこまで自由なのか、結論が出ない議論が続く可能性であります。

KBSニュースより

KBSニュースより

日本国憲法第21条第1項では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」第2項は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」であります。ここだけを見るとなんでもアリという風に読めます。ところが憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。この「公共の福祉」がキーワードです。

このあたりの解釈とどこまでが許され、どれはダメなのか、については憲法学者同士でも諸説あり、意見が分かれるところです。つまり、憲法が公布されてからこれまで、学者と政治が憲法の規定する事柄に対して一定の落としどころを見いだし、国民に分かりやすさを示せなかったということになります。

これでは国民は混乱する一方であり、それ故に法律を制定するか、憲法を改正するかして誰でも理解できるものに変えていかねばならないはずです。ところが憲法改正論議=第九条改正というイメージが強すぎるのか、もっと真剣に考えなくてはいけない憲法改正問題が放置されているのであります。

(映画「主戦場」チラシから:編集部)

(映画「主戦場」チラシから:編集部)

映画「主戦場」が揉めにもめています。この映画は上智大学在学中だったミキ・デザキという日系二世の学生(当時)が卒業制作と称して慰安婦問題の右派左派含めた有識者をずらっと登場させたドキュメンタリーです。その際、有識者へのインタビューは「卒業制作ゆえ、商業化ではない」という前提であったとされます。ところが商業公開された上に「出演者」が見たその映画は右派にとっては「だまされた!」という内容だったというものです。デザキ氏や上智大学への訴訟が起きているし、映画館での上映も一時取りやめになっていました。

1966年に国連で採択された「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)という多数国間条約があります。日本ももちろん入っています。その中の第19条は第一項で意見の自由を、第二項で表現の自由を規定してますが、第三項で「(これには)特別の義務及び責任を伴う。従ってこの権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重 (b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」(ウィキ)とあります。

「トリエンナーレ」にしろ「主戦場」にしろそれを見る人にとって賛否の議論どころか、不快感を与えるものであるならばそれは公共の秩序に反する可能性はあるでしょう。ましてやそれに公的な補助金が出るとすれば税金であり、民の便益にならないとみられるのではないでしょうか?ましてや「主戦場」については出演者をだましたようなものであり、表現の自由以前の問題であります。(それこそ、個人の写真や画像を流出させたような類の話でしょう。)

レベルはガクッと下がりますが、秋葉原の繁華街に建物の3フロア分の大きさの巨大なアダルトゲームの広告が張り出されていると報じられています。しかも見るのも恥ずかしい描写です。これを表現の自由だから何やってもよい、というものでしょうか?ここがパシッと取り締まれないのが日本の弱みなのだろうと思います。

バンクーバーでは「公共芸術」が街の至る所にあります。一応審査を受けて展示されるわけですが、あまりにもひどい内容は撤去されます。仮に審査を通ってもパブリックが不快に思うのであればそれは公共の良俗に反するというわけです。

表現は自由であり、それについて様々な意見が出るのは当たり前です。それが議論の中で納まる程度であればそれは自由なのだと思いますが、その表現をすることによる社会全体へのマイナス効果が高いとみられる場合は当然規制されるものと考えています。例えばヘイトクライムや表現を通じてある一定方向への誘導を試みる思想的戦略はコントロールされるべきと思います。

カナダに住んでいて思うのは全く自由ではないということです。屋根の色だって建物の色だって自由ではありません。私の顧客の船のカバーの色が気に入らなくて近隣から大苦情が来たこともあります。日本は表現の自由という言葉の一人歩きがはなはだしいと感じています。

何でも自由ではないのだ、節度はどこにあるのか、このあたりを考えるには良い機会ではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年11月8日の記事より転載させていただきました。