中国には特定の職業に対して感謝する記念日(節)が5つある。看護師節、医師節、教師節、農民豊作節、そして記者節だ。看護師節は、ナイチンゲールの誕生日にちなむ5月12日の「国際看護師の日」をともに祝うものなので、中国独自の記念日は4つとなる。
法定の休日にはならないが、全国各地で官民の関連行事が行われる。いずれも歴史は浅く、医師節、農民豊作節は昨年に始まったばかりだ。
11月8日は記者節(記者の日)だった。1937年のこの日、上海で中国青年記者学会が誕生したのを記念するもので、2000年正式に制定された。同会設立に尽力した記者・范長江は、中国新聞界草創期の中心人物で、今年は生誕110周年にあたる。汕頭大学新聞学院の前院長・范東昇が彼の次男である縁もあり、同学院では10日、記念の学術行事が行われる予定だ。范前院長の講演など、新聞学会の主要メンバーが顔をそろえる大規模なイベントとなる。
8日の記者節当日、思いがけない出来事があった。4月から5月にかけ京都奈良大阪を訪れた日本取材チーム「新緑」の4年生メンバー6人が、久しぶりに食堂で一緒に昼食を食べようと誘ってきた。なにか卒論や院生試験のことで意見交換でもしたいのだろうか、あるいはだれかの誕生日の相談か、と気軽に出かけて行った。そこで、いきなり渡されたのが花束だった。
「先生、記者の日、おめでとうございます!」
正直言って驚いた。
「なんで、先生に?」
「だって、先生はベテラン記者だったでしょ。今でも私たちの取材指導をしてくれるし」
自分が記者であったことをすっかり忘れていたが、その魂を思い出させてくれた。こんな祝い方もあるのか。心の底から感動がこみあげてきた。これまで記者時代を含め、特ダネで表彰されることはあっても、記者であること、あったことに対して祝福されたことはなかった。
「じゃあ、未来の記者からの贈り物としていただいておきます」
そういって花束を受け取った。
思えば9月10日の教師節も同じように昼食に誘われ、あのときは小型マッサージ器をプレゼントされた。「先生はだいぶ疲れているようだから」と気遣ってくれたのだ。教師節は毎年、多くの学生が祝福をしてくれる。手書きのカードや出身地の特産品を持ってくる学生もいる。中国では、記者出身の教師は年に二度祝福を受けるわけだ。ずいぶん恵まれた環境にあるものだとしみじみ感じることになった。
日本では管理ばかりが強化され、「先生」と呼ばれる職業も官僚的になり、委縮がちにみえる。みんなで職業に感謝する日があってもいいのではないかと思う。少なくとも私は学生たちからたくさんの元気をもらっている。
本来、記者を養成するために始った中国のジャーナリズム教育は、加速度的なメディア環境の変化に飲み込まれ、荒海の中をさまよっている。そもそも新聞やテレビの記者になろうという学生が少数派となり、多くは教育や科学技術、旅行、グルメなどある分野に特化したネットメディア、あるいは全く畑違いの業種に流れていく。
だが、日々の生活を携帯電話に依存する度合いがどんどん高まり、コミュニケーションのあり方が激変しているなか、いかに人や情報と接し、社会を理解し、自己を表現するかを学ぶジャーナリズム教育の原点は、職業訓練の域を越え、重要な人間形成、教養教育の意義を有する。
異なる文化との直接的な交流はなおさら重要性を増す。だからこそ、大学に一人しかいない日本人教師として、まだまだやらなければならないことがたくさんある、と考えている。小さな花束が、そんな気持ちを後押ししてくれる。
編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2019年11月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。