現代版世代間のギャップを読み解く

少し前のブログで20-40代の人とそれ以上の年齢の人に善悪は別としてギャップがあると書かせて頂きました。思えば「最近の若者は…」というオヤジの嘆きはいつの時代にもあるものです。では私の見る今回のギャップはどんなものなのでしょうか?

私が考える世代間ギャップには3種類あると思います。1つは単純に年齢を重ねた経験値からくるギャップ、2つ目は社会が大きく変化した際のギャップです。例えば明治維新とか、終戦といった事象はその時代に生きる人にとって強制的に方向転換を迫るものでした。3つ目はある事象に対して人々の考えが分裂し、世代の間でミスマッチを起こすケースです。アメリカがベトナム戦争をしていた時、反戦運動を通じて当時の若者に大きな影響を与えました。あるいは貧富の格差問題に今、スポットライトが当たります。

acworks/写真AC(編集部)

では今の日本はどうなのでしょうか?私はタイミングとしてはバブル崩壊が人々の行動規範を変え始めた一つのきっかけになったと考えています。あれを境に日本はイケイケどんどんから企業は構造的変革を求められました。リストラの嵐、非正規雇用、またガバナンスという発想も普通に取り入れられます。また、ゆとり教育世代が社会の主流を占めるようになっています。今時「24時間働けますか?」というコマーシャルを流せば大バッシングでしょう。しかし、80年代はそれが当たり前だったのです。

次にデジタル世代という言葉も生まれました。表層的な情報で深堀することがないのです。短文のテキストで意思の確認が前提で議論はあまりしません。新聞とはニュースを知るためだけではなく、社説、コラムを通じて深堀をするものでした。雑誌も同様、そして書籍はより専門的で体系的な知識を取得する手段でした。

今、1カ月に一冊も本を読まない人が統計上約半分とされています。個人的にはこの統計は疑っています。個人的感覚としては本を読む人はせいぜい1-2割だと思います。読むという定義も重要です。買ったことで読んだと思っている人もいるでしょう。いわゆる積読です。目次や「はじめに」を読んだだけ、パラパラとつまみ読みした人もいるでしょう。でもそんなのは読んだうちに入らないのです。きちんと完読したかどうかです。

日経に分断のアメリカと題し「左を向くミレニアル」と副題がついた記事があります。ブーマー族からミレニアム世代に有権者の主流がバトンタッチされた、そしてその流れは左、つまりリベラルに向かうという内容です。

保守は都市部では流行らない、これが欧米の主流です。日本はどうか、といえば自民という基盤が安定していますが、これは欧米のように拮抗する選挙という状況にならず、選択肢がないとも言えます。それ故に選挙をやっても投票率は30-40%ぐらいにしかならないのは「どうせ自民」と思っている層が非常に増えているからであります。

つまり自民が主流の日本だから保守基盤が強いと単純な判断は下せず、案外、声なきリベラル層が拡大している、そしてその主流は20-40代だと私は考えています。例えばシェアハウスに住むこと、LGBTでカミングアウトすること、ハローウィンで仮装して楽しむこと、イベントなどコト消費に向かう人々などはリベラル的バランス社会で着々とその行動基盤は広がっているのではないでしょうか?

50代から上の保守派にとっては「なっておらん!」と声を上げるかもしれません。そうです。私も不安です。しかし残念ながら表層の知識と敷かれたレールの上を労せずに走る受動的ライフに価値観を感じる人は確実に増えています。私たちの世代はいつもトラブルで各駅停車で苦労しながら前に進んできたという点からそんなにスイスイいけないだろう、と考えます。これが私の思うギャップです。

これはオヤジが「今の若者は…」というあの嘆きとは次元が違うと感じています。かつて4年連続で1位だった世界競争力ランキングは今や30位。留学生は減り、ワーキングホリデイで外国行く若者も激減しています。価値観があまりにも激変しているのです。かつては当たり前の意味だったJapan As No1なんて今の人は知らないけれどスポーツでもビジネスでも世界で頑張れば「ニッポンもやるじゃん」なのです。

もちろん、この新しい感性の世代が世界を引っ張れないとは断言はしませんが、こうやって海外の空気を吸いながら日本を見ていると世代間の断絶を感じないわけにはいかないのです。これをオヤジの嘆きで流してよいものなのか、大いに考えるところがあります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年11月10日の記事より転載させていただきました。