ビロード革命とその「30年後」

チェコの首都プラハで16日、約25万人の市民がアンドレイ・バビシュ現首相(65)の辞任を要求する反政府集会を開いた。チェコでは今年4月ごろから反政府デモが頻繁に行われ、6月には「ビロード革命」後、最大規模の30万人の反政府デモ集会が行われたばかりだ。デモ参加者たちは、バビシュ首相が欧州連合((EU)からの補助金を自身の企業に投資するなど、権力の悪用と腐敗が著しいと批判すると共に、共産党(KSCM)の黙認を受けて維持するバビシュ少数政権(右派「ANO2011」と社会民主党の連立政権)の総辞職を求めている。

▲プラハの反政府デモ集会(オーストリア日刊紙スタンダード電子版から、2019年11月16日)

ところで、17日は同国の民主改革「ビロード革命」30周年の日に当たる。1989年11月17日は同国の民主化後、初代大統領となったバーツラフ・ハベル氏ら当時の反体制派グループが呼び掛け、プラハ市民がヴェンツェル広場に結集して共産党政権打倒のデモ集会を開いた歴史的な日だ。

その日に現場で取材していた当方はその時の雰囲気を今でも鮮明に思い出す。白いヘルメットをかぶり、手には棍棒を持った治安部隊が列を作ってデモ集会者の前に立ちふさがっていた。治安部隊がいつ突入するか分からない緊迫した時間が経過した後、彼らは棍棒を振りかざして一斉に突入を開始。デモ参加者は逃げ回り、殴打され、連行された。近くのホテルの中に逃げ込む者もいた。

デモ参加者の中に入って取材していた当方も治安部隊が突入すると逃げざるを得なくなった。幸い、ヴェンツェル広場の横道の飲食店に逃げこむことが出来た。治安部隊がデモ参加者を次々と拘束していった。当方は事態が鎮静化するのを待って、その日の宿泊を約束していた知人の家に急いだ。

共産党政権下のチェコでは過去、2度の大きな民主化運動が起きた。最初は通称「プラハの春」と呼ばれ、上からの民主化運動だ。1968年、民主化を求める運動が全土に広がったが、旧ソ連ブレジネフ共産党政権はアレクサンデル・ドプチェク党第1書記が主導する自由化路線を許さず、ワルシャワ条約機構軍を派遣し、武力で鎮圧した。チェコで「プラハの春」が打倒されると、ソ連のブレジネフ書記長の後押しを受けて「正常化路線」を標榜したグスタフ・フサーク政権が全土を掌握し、民主化運動は停滞した。

しかし、劇作家のハベル氏、哲学者ヤン・パトチカ氏、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェク氏らが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書(通称「憲章77」)が1977年、作成された。チェコの民主化運動の第2弾だ。そして1989年11月、ハベル氏ら反体制派知識人、元外交官、ローマ・カトリック教会聖職者、学生たちが結集し、共産政権に民主化を要求して立ち上がっていった。これが“ビロード革命”だ(「『プラハの春』50周年を迎えて」2018年8月10日参考)。

1989年11月17日の反体制派デモ集会後、チェコのフサーク共産党政権は国民の民主運動に抗する力を急速に失っていた。隣国ハンガリーでもハンガリー社会主義労働者党(共産党)のミクローシュ・ネーメト首相が率いる民主改革が進行、東欧諸国の模範国の東独でも国民の自由な移動を認めざるを得なくなっていた。ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク大統領夫妻は同年12月、処刑され、ブルガリアではジフコフ共産党政権が崩壊し、民主政権が誕生するなど、短期間に東欧共産政権は次々と崩壊していった(「『ベルリンの壁』崩壊とハンガリー」2014年11月9日参考)。

▲ブルガリアのソフィアでジェレフ新大統領と会見(1990年11月、ソフィアで)

当方はブルガリアで35年間君臨した独裁者トドル・ジフコフが使っていた執務室で同国民主化初代大統領のジェリュ・ジェレフ新大統領と会見した時、「歴史が動いた」と強烈に感じたものだ。ルーマニアではチャウシェスク大統領処刑後、政権に就いたロマン首相(当時)と首相官邸内でインタビューした時、その首相の執務室前には機関銃を構えた兵隊が警備していた(「日本は『金正恩政権崩壊』に備えよ」2016年10月6日参考)。

なお、チェコスロバキアは民主化後(1993年)、チェコとスロバキアに分裂した。連邦の分裂を回避することは難しかった。共産政権下の民主化運動ではチェコではハベル氏など「憲章77」を中心とした政治運動が主導となり、スロバキアでは宗教の自由運動が民主化の原動力だった。チェコとスロバキアではその民族性、国民性は明らかに異なっていたからだ(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。

ちなみに、ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査によると、チェコではキリスト教の占める割合は23・3%で、無神論者、不可知論者などを含む無宗教の割合が76・4%となり、キリスト教文化圏の国で考えられないほど高い(「なぜプラハの市民は神を捨てたのか」2014年4月13日参考)。

東欧の激変後、30年が過ぎた。旧東欧国はいずれも今はEU加盟国であり、北大西洋条約機構(NATO)のメンバーだが、過去3度、プロイセン、ロシア、オーストリアなどに領土を分割され、国を失った悲惨な経験を味わったポーランドでは中道右派「法と正義」(PiS)政権が民族主義的な政策を行い、ハンガリーのオルバン政権と共に、ブリュッセルの異端者と呼ばれている。東欧にはロシアや中国の影響も広がってきた。チェコを含む東欧諸国は今、大きな時代の転換期に直面し、その政情は再び混沌としてきた。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月18日の記事に一部加筆。