日本は「金正恩政権崩壊」に備えよ

長谷川 良

毎年10月に入ると、ノーベル賞受賞者の発表が行われる。通称「ノーベル賞週間」だ。同じように、旧ソ連・東欧諸国の共産政権時代に取材してきた当方は10月の声を聞くと、冷戦時代の1980年後半の緊迫感と懐かしさが自然と湧き上がってくる。当方にとって、10月は「冷戦時代の回想」の時となる。お付き合いをお願いする。

▲「共産党からの決別を宣言するハンガリーのネーメト首相(1989年10月2日、首相執務室で、ハンガリー国営MTI通信)

▲「共産党からの決別を宣言するハンガリーのネーメト首相(1989年10月2日、首相執務室で、ハンガリー国営MTI通信)

1980年後半に入って東欧共産政権が次々と崩壊していったが、冷戦時代の残滓の一つ、北朝鮮の独裁政権の崩壊はあるだろうか。東欧共産政権の崩壊はハンガリー共産党の「共産党からの決別宣言」を契機に始まった。旧東独国民がハンガリー経由で旧西独に亡命した。昨年、シリア、イラク、アフガニスタンから大量の難民が欧州に殺到したように、旧東欧諸国の国民の大量亡命が始まったのだ。旧東独社会主義統一党(共産党)政権は当時、国民の亡命を阻止できるだけの政治的パワーを失っていた。民主改革の嵐は、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、そしてブルガリアに波及し、1989年12月にルーマニアのニコライ・チャウシェスク独裁政権の崩壊で一応幕を閉じたことはまだ記憶に新しい。

▲「共産党からの決別を宣言するハンガリーのネーメト首相(1989年10月2日、首相執務室で、ハンガリー国営MTI通信)

▲ジフコフ共産党政権崩壊後のブルガリア初代民主選出大統領ジェリュ・ジェレフ大統領との会見(1990年11月7日、ソフィアの大統領府官邸内で)

極東の朝鮮半島では同時期、故金日成主席、故金正日労働党総書記はTVのニュース番組でチャウシェスク大統領夫妻が処刑されるシーンを視て震え上がったといわれる。「次は自分たちだ」といった恐怖心だ。
その北朝鮮で今日、3代目の独裁者金正恩党委員長が強権を振りかざし、側近幹部たちを次々と処刑する一方、核実験と弾道ミサイルの発射を繰り返している。

金正恩政権の崩壊の兆候は見られるだろうか。脱北者が増加し、党幹部、外交官も脱北してきた。旧東独時代のような大量亡命はまだ起きていないが、国民の脱北は今後も確実に増えていくだろう。国民経済は疲弊する一方、生き延びるための国民のしたたかな経済活動は広がっている。政府の食糧配給に期待できない国民は自力救済の道を模索してきた。金正恩政権は国民の一定の自主的な経済活動をガス抜きとして黙認してきている。

旧東欧共産政権と違う点は、北朝鮮国内には反体制派活動家やグループが存在しないことだ。例えば、ポーランドやチェコスロバキアでは「自主管理労組『連帯』」、「憲章77」といった反体制グループが存在した。
旧東欧共産政権との決定的な違いは、金正恩政権が核兵器を保有していることだ。この相違は大きい。北の民主改革は重要だが、核兵器の暴発を防止しなければならない。安易な軍事介入は危険だ。寧辺周辺の核関連施設を急襲して破壊できるが、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の動向は無視できない。また、北の指令系統をマヒさせるサイバー攻撃が不可欠となる。

現実的な崩壊シナリオは独裁者の金正恩氏暗殺だ。独裁者とその最側近を抹殺するだけで政権を転覆できる。その点、旧東欧共産党政権とは異なる。暗殺は突発的なものか、米中両国特殊部隊による暗殺かの2通りが考えられる(「米中特殊部隊の『金正恩暗殺』争い」2016年4月6日参考)。
はっきりとしている点は、日本は隣国の政変を対岸の火事として静観しているわけにはいかないことだ。日本は金正恩政権崩壊の「Xデー」に備え、万全の安全体制を敷かなければならない。旧東欧共産政権の崩壊を目撃してきた当方は、「金正恩政権崩壊Xデー」はそう遠くないだろうと予感している。独裁世襲国家は21世紀の世界ではもはや生き延びていくことができないのだ。

忘れないために、書いておく。ブルガリア共産党の指導者として35年間独裁政権を維持したトドル・ジフコフが退陣に追い込まれ、その後任に文人出身のジェリュ・ジェレフ氏が1990年、同国で初めて民主的に選出された大統領に就任した時だ。その新大統領とソフィアの大統領府内で単独会見した。大統領府の宮殿は大理石に包まれ、堂々としていた。独裁者ジフコフのプレゼンスが至る所でまだ感じられるほどだった。大統領府の新しい主人となったジェレフ氏は笑顔を見せながら当方を迎え入れてくれた。ジフコフが使用していた大統領府のソファーに座る小柄なジェレフ大統領を見た時、「時代は動いた」という強烈な感動に襲われたものだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年10月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

【訂正:6日20時】2枚目の写真のキャプションが間違っていました。長谷川氏からの指摘でした。読者の皆様、長谷川氏にお詫びします。