沢尻エリカ。天性の女優、高すぎた多幸感のハードル

秋月 涼佑

女優の沢尻エリカが逮捕され各局ワイドナショーでもトップニュースで取り上げられていたが、「残念」という声がとても多かったように感じる。

そう今回の件まさに「残念」としか言いようがないのだ。この野郎でもふざけるなでもなくただ残念。

沢尻エリカが主演した映画「パッチギ!」のDVD(Amazonサイトより:編集部)

やはり沢尻エリカという女優は稀有な存在で、そんな女優としての存在感を評価する声は巷にこの期に及んでも多いように感じる。特に映画関係者など制作者サイドにはそんな共通認識があるだろう。

今回の件を受けてのコメントの中でも、名プロデューサーとして有名なテリー伊藤氏TBS「サンデー・ジャポン」での発言など象徴的だ。

「沢尻エリカは芸能界でも唯一無二の存在。圧倒的に美しい。あの存在って吉永小百合さんとか夏目雅子さんに近いもの凄い力がある。彼女に対してみんな敬語を使っていく。彼女はその中で孤高になっていくんです」

参照:テリー伊藤が見た沢尻エリカ容疑者「彼女に対してみんな敬語」(スポニチアネックス)

吉永小百合とも重なる女優としての輝き

何と言っても2005年19歳で出演した映画ニ作目「パッチギ!」での「リ・キョンジャ」というチマチョゴリの制服を着た朝鮮高校女生徒役での鮮烈な印象は映画史に残るものと言ってよいだろう。

ティーンエイジャーならではのはかなげな可憐さ。複雑な環境を生きる悩ましさといたいけさ、一方での若さゆえの将来への希望やハツラツ。決して多くのセリフを語るわけでない「リ・キョンジャ」役の沢尻エリカは、その佇まい、その目に映る情景が、言葉で語るにはあまりにも複雑な心情をこれ以上なく雄弁に表現していた。

Amazonサイトより:編集部

テリー伊藤氏が指摘する通り、吉永小百合氏が高校在学中に「キューポラのある街」で演じた貧困を健気に生きる少女役にどうしても重なるし、吉永小百合と同様沢尻エリカにも女優としての将来を確信させる光る何かがあることは誰が見ても明らかだった。

聖女も悪女も嘘くさくなく演じる天性の女優

その後も出演作がことごとく話題を呼んだが、ひとつ特筆できることがあるとすれば常に幼さと成熟、聖女と悪女の両義性を体現していたことだ。悪女の振る舞いに思いがけず感じられる幼さ、風俗嬢の心にあるピュア、ドライな強気さと裏腹なまとわりつくようなウエットさ。しかもあくまで自然な演技、極端にいえば立っているだけで人間そして女性存在の深淵を感じさせてくれる「唯一無二の存在」であることは、間違いない。

しかしそれがゆえに「残念」という言葉がどうしても出てしまう。吉永小百合氏を引き合いに出すならば、仕事の合間を縫って夜間学部の早稲田大学第二文学部を卒業するなど勉強熱心、安定感ある人物像でも定評があり紫綬褒章、文化功労者を受けた。もちろんその職業人としての信頼感ゆえ何歳になっても多くの素晴らしい作品やCMに出演してきた。

大女優がその作品の質もさることながら量でも圧倒的であるべきとするならば、その量を担保すべき世間や関係者の信頼を損ねた沢尻エリカは吉永氏と比べるべくもなくその才を生かす機会が少なくとも大きく減る。まして30代の表現はまさにその時期にしかできない演技に違いないのだから「残念」という言葉しかありはしない。

天性の魅力の罪と罰

それにしても本人はそんな天性にどれだけ自覚的であったか。

きっと彼女が持っている性質の才能の多くの部分は、本人の努力だけでどうこうなるものでもない。

そもそももちろんまず容姿の問題がある。お母さんがフランス人、お父さんが日本人とのことだが、両親のナショナリティが違う人物が往々人を魅了してやまないルックスをもつのはなぜだろう。生物学的多様性を無意識に志向する人間本能の秘密がどこか影響しているような気もするが勉強不足で断言はできない。

多分リアルな社会人としての彼女はそんな天性の素養に対して圧倒的に幼い。こう言ってはなんだが幼稚とさえ言って良いのかもしれない。

沢尻エリカと言えば、有名な若い頃の「別に」を連発する記者会見も子供としか言いようのない反応であったし、その後も散発的なプライベートの成り行きを見る限り天性の大女優の素養と裏腹にあまりにも未熟な一人の女性がそこにはいた。

有名、魅力的だが、未成熟で不安定であれば悪い連中に目を付けられて当たり前だろうし、周囲の家族や事務所関係者も警戒するのだろうが、大人の女性に24時間まとわりつくわけにもいかない。

恵まれた境遇なのに?恵まれた境遇だから?

そんなある意味有名人のありきたりな”やらかし”と言ってしまえばそれまでだが、私には現代(少なくとも先進国)を生きる我々が共通に抱える、ある”悩ましさ”を感じる部分がある。

本当に人間とは面倒くさい生き物で、傍から見れば「何の不満もない恵まれた環境」にいるとみなされる人ほど、その境遇に飽き足らない思いを抱えていたりする。過去には東大卒の御曹司で大企業のトップを世襲しながらカジノで106億円すって大騒ぎになった御仁もいる。人気絶頂の芸能人からプロスポーツ選手まで薬物に手を染めた人物ならばさらに珍しくもない。

仕事においてはこぞってその天性を絶賛され、経済的にも余裕があり、若く健康魅力的で異性からも常にモテまくる。確かにこれほどの高い手の揃い踏みそうはないが、「幸福感」「多幸感」の感じ方は人それぞれだ。満たされているがゆえの物足りなさや退屈ということもあるだろう。

沢尻エリカの件を報じるワイドナショーでは某慶應大学有名教授が市価数百円の女性モノ下着を盗んで捕まったことが報じられてもいた。

700万年の宿痾から解放された人類

毎日を当たり前に、そんな愉快そうでもなく過ごす我々だが、実は人類の歴史700万年の中で極めて例外的に「飢饉」「疾病」「戦争」という、ほとんどの人類が生まれて死ぬまで(しかも今の半分もない寿命を)、朝起きて寝るまで、生きるために追い立て続けてきた宿痾から解放された、宝くじを何連発も当てたぐらいラッキーな人々とも言える。

これは「ホモデウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ)「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」(マット・リドレー)や「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド)という、高く評価されている近年の人類文明論の書で、等しく指摘されている、現代社会を考える上で欠かすべからざる出発点のような認識だ。

(私の下記個人サイトで「衝撃の書 ホモデウスを読む」を連載しているので、詳しくはぜひご一読ください。『【第1回】新企画 衝撃の書「ホモデウス」を読む– 人類の歴史はほとんど「飢饉」「疾病」「戦争」との戦いであった。』 )

さらには「ホモデウス」では、人類のほとんどが労働する必要も、働くことを求められることもない無産階級となる衝撃の予言までされている。

つまり天性と呼べるものなど一切持たない我々とて、すでに退屈する程度に危機感のない人生を送ることはできる。そんなとき、くれぐれも”魔”がさすことないよう心がけるとしよう。沢尻エリカと違って「やらかして」も誰からも惜しまれるべき天性をもたぬ人間にとって、それがせめてもの教訓かもしれない。

秋月 涼佑(あきづき りょうすけ)
大手広告代理店で外資系クライアント等を担当。現在、独立してブランドプロデューサーとして活動中。ライフスタイルからマーケティング、ビジネス、政治経済まで硬軟幅の広い執筆活動にも注力中。秋月涼佑のオリジナルサイトで、衝撃の書「ホモデウスを読む」企画、集中連載中。
秋月涼佑の「たんさんタワー」
Twitter@ryosukeakizuki