「ベートーベン交響曲第10番」の時代

来年は“楽聖”ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン(1770〜1827年)が生まれて250年を迎える年で、生誕国ドイツや音楽の都ウィーンでもベートーベン生誕祭が挙行される。

ウィーン郊外の中央墓地に眠る楽聖ベートーベンの墓(2017年10月、撮影)

ところで、「ベートーベン交響曲第10番」を聴かれた人はいるだろうか。こんな質問をすれば、「当方氏はベートーベンの交響曲が第9番までしかなく、10番など存在しないことを知らないのか」といった驚きと失望の声が飛び出すだろう。

幸い、当方もベートーべンの交響曲が第9番までで10番はないことを知っているが、オーストリア代表紙プレッセ(12月10日付)の文化欄で「人工知能(AI)のアルゴリズムがベートーベン交響曲第10番を作曲できるばかりか、フランツ・シューベルト(1797〜1828年)の未完成交響曲を完成できる」といった趣旨の記事が掲載されていたのだ。どのように、AIが作曲するのか当方は残念ながら理解できないが、可能だというのだ。

今年を振り返ると、囲碁の世界最強棋士と呼ばれる韓国の李世ドル9段(36)が先月20日、「アルファ棋士との戦いでは、もはや勝つことはできない」と表明し、AI棋士「アルファ碁」に対し「敗北宣言」をし、引退宣言をしたという記事を読んだとき、かなりショックを受けたことを思い出す。

製造分野や計算分野などビッグデータの処理ではAIが圧勝するが、囲碁の世界ではまだ人間の棋士にもチャンスがあると期待していた。実際、李9段は2016年、グーグル傘下の英ディ―プマインド社が開発した人工知能の囲碁棋士アルファと対戦し、1勝4敗と負け越したが、これまでAI棋士に1勝を挙げた唯一のプロ棋士だけに、世界最強棋士の「敗北宣言」は辛い。無限に可能と思われる布石をAI棋士はディ―プラーニングし、全て掌握して臨んでくるから、人間棋士の「次の一手」はお見通しというわけだ。

Wikipedia:編集部

AIが近い将来、べートーベンやシューベルトが生前、作曲できずに終わった交響曲を作曲する日がくるというニュースはかなり衝撃だ。人間が誇ってきた芸術の世界までAIが侵入し、芸術品を創造するというのだ。

自動車製造工程で働き、ビッグデータを処理するAIの姿は想像できるが、キャンバスにピンセルで絵を描き、ピアノに向かって楽譜を書くAIを想像することは数年前までは考えられなかったことだ。

クリスマス・シーズンに入るとチャールズ・ディケンズ(1812〜1870年)の「クリスマス・キャロル」の小説やその映画が放映されるが、ディケンズは生前、推理小説という未知の分野に踏みこみ、「エドヴィン・ドル―ドの謎」という小説を書きだしたが、その途上(1870年6月)、脳卒中に倒れ、58歳で死去したため、完成できなかった。

そのためディケンズの最初のサスペンス小説の犯人は誰かについて、これまで議論を呼んできたが、AIならば作者の意図やプロットを分析し、犯人を見つけ出すというのだ。AIが名探偵シャーロック・ホームズ役を果たすからだ。

ここまでくると、人間、それも創造力を誇る芸術家や小説家も「俺たちの職場もAIに奪われてしまう」といった嘆きが聞かれ、職業斡旋所の前で列に並ぶ芸術家、作曲家、小説家の姿が見られる日が案外近いかもしれないのだ。

捨てる神があれば、拾う神もいる。悲観することはないかもしれない。一つの記事を思い出した。人間の脳の機能についての記事だ。人間が考えている時は実行系ネットワーク(Executive Network)と呼ばれる個所が機能する一方、何も活動しないでボーッとしている時、脳はデフォルト・ネットワーク(Default Network)と呼ばれる個所が動き出すという。

そして科学者や芸術家がインスピレーションを得るのはこの分野の働きが大きいのではないかというのだ。換言すれば、人間がボーッとしているとき、考えもしないアイデア、インスピレーションが人間の脳から飛び出すというわけだ。

この情報はAIに敗北を余儀なくされてきた人間にとって神の祝福だ。ただし、人間が考えている時ではなく、ボーッとしている時がチャンスというのだ。少々皮肉な感じがするが、AIとの戦いではボーッとしている時間を多く持つ人間に勝利のチャンスが出てくるわけだ。

もちろん、ボーッとしている人間なら全てチャンスがあるわけではないだろう。「怠慢の勧め」を書いているのではない。テーマに真剣に取り組み、考え、考え尽くしてきたまじめな研究者や学者がボーッとした瞬間という条件が付くようだ。無条件ではない。さすがのAIもボーッとしている人間の脳の機能を完全には把握できないからだ。

しかし、AIは全てを学んでくる。その学習能力は恐ろしい。人間の脳がボーッとしている時の機能メカニズムを近い将来掌握するだろう。人間にとって余り多くの時間はないわけだ。

人間にとって慰めは、そんなAIを創造したのは人間だった、という事実かもしれない。ひょっとしたら、人間を含む宇宙を創造した神も同じかもしれない。「エデンの園」から追放された後の人類の歩みをみて、創造主の神は歯ぎしりをしながら言うだろう。「自分はこんな人類を創造するために汗を流したのではない」と。同じように、近い将来、人間は「あんなAIを創造するために大学に行き、研究所で働いてきたのではない」と嘆くかもしれない。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年12月12日の記事に一部加筆。