4社に1社の企業にがん患者がいるといわれる今、中小企業にとっても従業員ががんにかかり生産性が落ちる恐れは他人事ではありません。
独立行政法人「労働政策研究・研修機構」が全国2万社を対象に実施した調査によると、がんにかかった従業員のほとんどが休職をすると回答した企業が48.7%を占め、その割合は心疾患や難病を上回ります。
健康経営の取り組みの一つには、従業員が病気になったときの復職支援や両立支援も含まれ、特に日本人に多いがんに取り組む企業は増えています。7月にも「がんと仕事の両立は可能か?治療しながら働ける職場づくりの最前線」で、各企業が試行錯誤する取り組みを取り上げましたが、国が2016年に公表した「治療と職業生活の両立支援ガイドライン」では、がんにかかった従業員への企業の対応方法などについて解説し、治療との両立支援を促しています。
同ガイドラインでも、社内制度の設計方法や事例が紹介されていますが、特に人員に限りのある中小企業では社内制度の設計は大きな負担です。
しかし、定着した従業員がかりにがんになったときのダメージは小さくないのも事実です。がんをはじめ、病気にかかった従業員を抱えながら企業がいかに生産性を維持、向上させていけばよいのでしょうか。
がん治療と就労の両立に関する研究している順天堂大学が11月に開催された「BCC(Bridge between Clinic & Company)架け橋大賞」では、そのヒントが垣間見えました。
がんと仕事の両立支援を表彰する「BCC架け橋大賞」
がんにかかった従業員の職場復帰や就労支援に関するよい取り組みをしている企業や医療機関などを表彰する「BCC架け橋大賞」。第4回を迎える今年は、一次審査を通過した医療機関や民間企業など11団体が最終審査会に参加し、取り組みを発表しました。
そして、今年大賞を受賞したがん患者就労支援ネットワークは、「がんをcoming outしたくない人としても良い人に分けた支援など、独創的できめ細やかなサービスの考案と実践を全国レベルで行っていること」が評価対象になりました(参照:BCC第4回架け橋大賞)。
特に中小零細企業向けに行われている取り組みは、がんと仕事の両立体制を構築するノウハウがない企業に変革を促すきっかけになりそうです。
中小企業への支援に関しては、同大賞に参加したAIG損保が、企業向けに販売する業務災害総合保険の特約としてがんの通院治療費用への補償を提供するなど、B to Bのサービスとして展開されているものもあります。
しかし、「もし自社の従業員ががんになったら?」という課題に自分事として取り組む中小企業はまだ少ないのも現状のようです。上述の架け橋大賞への応募した民間企業のうち、中小企業はゼロ。大賞を主催する順天堂大学の齊藤光江教授は、その理由を「ハードルが高いと思われているのではないか」と分析します。
がんと仕事の両立支援を普及するカギは“ダイバーシティ”
そもそも、自分ががんになったときにはその事実を自身が受け止めること自体に精神的な負荷があるはずです。それを勤務先にカミングアウトするのはさらに心理的なハードルがありますし、伝えるべき法的な義務もありません。
カミングアウトをしたところで、仕事を続けやすいようにと上司や同僚の配慮やサポートを受けられればよいものの、周囲の人がどう対処してよいかわからなければお互いに気を遣うことになります。また、本人にとって不本意な配置転換や業務量の調整が行われることを懸念すると、カミングアウトするメリットもありません。
齋藤教授は、がんにかかった人が自力で解決しようとすることで、かえって会社側が実態を把握しにくく、仕事と治療の両立体制に着手する土壌が生まれにくい可能性も指摘します。
そんななかで、新たな切り口も見え始めているようです。従業員のがん対策に取り組む企業のなかには、ダイバーシティやSDGsの観点を掲げるところが増えてきているといいます。
企業が社内制度を設計するときには、できる限り全従業員に恩恵があるものであることが望まれるでしょう。「がんにかかったとき」と限定した制度では、がんにかかった人はサポートを受けられるものの、他の病気では受けられない、病気以外の理由で仕事に支障を来している従業員を支援することはできません。従業員がこうしたしくみに不平等を感じれば、企業側も制度導入が難しくなってしまいます。
しかし、がんにかかることもダイバーシティのひとつとして捉えるとどうでしょうか。企業が多様な従業員の事情を受け入れ、事情と付き合いながら仕事を続ける方策のひとつとしてがん対策があれば、見え方が変わるでしょう。いろいろな事情を抱えながらも自分のできる範囲で仕事に責任をもって従事できる環境は、従業員の定着と企業の持続可能性につながりそうです。
また、SDGsで掲げる17の国際目標のうち、8番目の「働きがいも経済成長も」は「すべての人々のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワーク(※)を推進する」を呼びかけています(※働きがいのある人間らしい仕事)。がん患者が治療しながら仕事をして職場や社会に貢献する動きを実践することは、多様な働き手の参画を国際的に促している潮流をとらえたものといえます。
「がんになったら」という限定的な視点を変え、多様性や持続可能性を通した経営戦略のひとつとして捉えられることが、結果的に企業のがん対策につながるというのは時流にもかなった前向きな発想です。齋藤教授も、それがより「取り組みやすいかもしれません」と期待を寄せています。
がんを“ライフイベント”として視点を変える
上述の労働政策研究・研修機構の調査では、約8割の企業が、「がんにより退職する患者の割合は1割以下」とも回答しています。かりにがんにかかっても、仕事を諦める必要はない。治療する期間はもはや、会社生活のひとつのフェーズにすぎないと考えてもよい時代なのかもしれません。
そして働く私たちの中でも、それは子育てや介護のような“ライフイベント”のひとつにすぎないと捉えると、万が一がんにかかったときに会社に言えない、だから会社に支援制度ができないという環境も変わっていくような気がします。
次年度は企画の幅が広がる可能性もあるというBCC架け橋大賞。健康経営に取り組む多くの企業が、がん対策に着手するきっかけにもなるかもしれません。
加藤 梨里(かとう りり)
ファイナンシャルプランナー(CFP®)、健康経営アドバイザー
保険会社、信託銀行を経て、ファイナンシャルプランナー会社にてマネーのご相談、セミナー講師などを経験。2014年に独立し「マネーステップオフィス」を設立。専門は保険、ライフプラン、節約、資産運用など。慶應義塾大学スポーツ医学研究センター研究員として健康増進について研究活動を行っており、認知症予防、介護予防の観点からのライフプランの考え方、健康管理を兼ねた家計管理、健康経営に関わるコンサルティングも行う。マネーステップオフィス公式サイト
この記事は、AIGとアゴラ編集部によるコラボ企画『転ばぬ先のチエ』の編集記事です。
『転ばぬ先のチエ』は、国内外の経済・金融問題をとりあげながら、個人の日常生活からビジネスシーンにおける「リスク」を考える上で、有益な情報や視点を提供すべく、中立的な立場で専門家の発信を行います。編集責任はアゴラ編集部が担い、必要に応じてAIGから専門的知見や情報提供を受けて制作しています。