日本人にとって他人事とはいえない病気のひとつであるがん。死に至る病とのイメージが強いものの、近年は治療技術の進展や早期発見が可能になってきたことから、生存率は上昇傾向にあります。治療方法も入院から通院中心で行うケースが増え、働きながら治療することも珍しくなくなっています。
しかし、実際にがんの治療と仕事を両立するには、本人の負担は小さくありません。
がんと仕事の両立は働き方改革の一環としても課題に
一方で、企業の現場では少子高齢化にともなって人手不足への危機感が高まっています。自社の戦力である従業員がもしもがんにかかったとき、本人が仕事を諦めずに働けるよう環境を整備することは経営戦略上でも重要です。
ところが、がんにかかった従業員への支援体制が十分な企業はまだごく一部。特に中小企業では、がんについての理解や従業員への対応方法、社内制度などが醸成されておらず、がんにかかった従業員が仕事を諦めるケースが少なくないようです。
こうした現状を改善すべく、国や自治体は企業向けにがん治療と仕事の両立支援を進めています。「働き方改革」の一環としても、働きながらがん治療を続けられる体制を整備する企業が、実際に増えてきているようです。
AIG損害保険会社が6月に開催したセミナー「AIG損保 がん治療と就労の両立支援を取り巻く環境と課題」では、働く人のがん治療と仕事の両立の現状について解説が行われました。
働き方改革の一環としても注目されている「がん治療と就労の両立」への企業の取り組みの最前線を紹介します。
働き盛りのがんは珍しくない
日本人の死因トップであるがんは、高齢期になってからかかる人が多い一方で、現役として働き盛りの年代でかかるケースも珍しくありません。セミナーに登壇した北里大学の武藤剛准教授によると、就労世代のがん罹患率は30年前に比べて増加しているといいます。
労働政策研究・研修機構の調査をみても、過去3年間にがんにかかった従業員がいると回答した企業は24.3%。4社に1社には、従業員のなかにがん患者がいることになります。がんにかかった従業員の年代は40歳代という企業が27.5%、50歳代が42.7%、60歳以上が41.4%です。50歳代以降のケースが多いようですが、この年代は勤め先での収入がピークから減少に転じたり、定年退職が迫ってきたりと、老後に向けて貯蓄の計画や定年後の家計を気にし始める時期でもあります。
また人によってはまだ住宅ローンの返済が残っており、仕事を休んだり辞めたりして収入が減るのは大きなダメージになるケースもあるでしょう。
また40歳代でがんにかかるケースも3件に1件近くあります。まだ子どもが幼いか小中学生などで、これから教育費のピークを迎える人も少なくないはずです。こうしたライフステージでがんにかかったときには、短期的にがん治療のためにお金がかかることも、中長期的に仕事を続けにくくなくなることも、家計にとって大きなダメージになります。働いて家計を支える人にとって、がんにかかったときにも続けられる職場環境はとても重要です。
がんになったら仕事はできるのか?
では、もしがんになったら仕事はできるのでしょうか? がんの治療法にはおもに手術、抗がん剤などの薬物治療、放射線治療がありますが、特に薬物治療や放射線治療は外来でできるケースが少なくありません。厚生労働省の「患者調査」によると、この約20年間でがん治療による入院患者は減少しているのに対して、通院患者は増加傾向にあります。
通院で治せれば、仕事との両立もしやすいでしょう。実際にがん治療のため通院しながら働いている人は32.5万人いるとのまとめもあります。
参照:厚生労働省「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドラインについて」
がんで退職する人は3人に1人
とはいえ、がんにかかった当初はやはり仕事を休まざるを得ないのが事実かもしれません。上述の労働政策研究・研修機構の調査によると、がんにかかった従業員が「ほとんど休職することなく通院治療」していると回答した企業は34.3%です。これは心疾患(54.2%)、肝炎(71%)、難病(56.1%)と比べて低くなっています。
休職にとどまらず退職してしまうケースもあります。厚生労働省研究班の調査によると、がんにかかった後も仕事を続けている人が約半数いる一方で、離職する人が34%いるという結果もあります。このうち約40%は診断確定時など治療を始める前に退職しています。
これはがんと宣告されたことで動揺して辞めてしまう「びっくり退職」ともいわれますが、武藤准教授はがんや治療について、そして仕事との両立の可能性についてがん患者に十分な理解があれば避けられたケースが少なくないと指摘します。
企業側のサポートも不可欠 がんと仕事の両立支援の現状
どうすれば、がんになっても仕事を続けられるか? それはがんになった本人だけの問題ではありません。それまで戦力として働いてきた従業員が、がんをきっかけに退職することで失う生産性を考えれば、勤め先である企業が取り組むべき課題でもあります。企業として病気を抱える従業員をどうサポートし、健康増進や維持をしてもらうかは、健康経営の観点でも重要です。
ただ現状の企業現場では、病気を患った従業員への対応に苦慮するケースが多いのも事実のようです。上述の調査では従業員が病気にかかったときに「休職者の代替要員・復帰部署の人員の増加が難しい(54.3%)」、「休職期間中の給与保障が困難(48.9%)」「治療と仕事を両立するための制度が十分でない(42.2%)」などの回答が目立ちます。
また、治療のために休みを取れることや就業時間の調整といった制度面での対応だけでなく、病状や後遺症に対する配慮や休職から復帰した後の仕事の与え方や配置など、周囲の理解や職場の風土が十分に醸成されていない課題もあるようです。(参照:労働政策研究・研修機構「病気の治療と仕事の両立に関する実態調査」調査結果の概要)
そこで国は2016年に「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」を公表。企業に対して、従業員ががんなどの病気にかかったときに適切に治療に配慮し、業務上の措置を取ることを求め、両立支援のための環境整備の指針を示しています。
たとえば管理職や全従業員むけに研修を行って意識啓発する、病気にかかった従業員が相談できる窓口を設置する、休職や短時間勤務・在宅勤務制度を導入することが盛り込まれています。
また、治療を担当した医師や産業医に、従業員が業務を続けることが可能か、どのような業務でどれくらいの時間なら可能か、就業にあたって職場で配慮すべきことなどの意見を求めることも推奨されています。
2019年6月には、治療と仕事の両立支援に向けた職場づくりのヒントとして、国立がん研究センターが「がんになっても安心して働ける職場づくり」ガイドブックを公表。大企業向けと中小企業向けそれぞれに、企業の状況や課題に合わせた職場づくりのアドバイスを発信しています。
がんと仕事の両立に取り組む企業は何をしているか?
こうしたガイドラインをもとに、実際に両立支援に取り組む企業は増えています。東京都などの自治体では、よい取り組みを行う企業を毎年表彰、公表して両立支援を推進もしています。
2018年に東京都に表彰された企業のひとつで、システム開発を手掛ける株式会社アークテックは、従業員をがんで亡くしたことをきっかけにがん対策に着手。会社としてがん検診を制度化し、検診費用を全額会社負担にしたほか、従業員向けにがんに関するeラーニングや研修を定期的に実施しています。
また社会保険労務士と協議をして、治療と仕事の両立支援のガイドライン策定を進めているといいます。
東京トラック運送株式会社では、2016年からがん検診を実施したところ、ある従業員にがんが判明。それまで明文化されていなかった職場復帰などの両立支援に本格的に取り組み、「治療と職業生活の両立支援マニュアル」を作成したそうです。(参照:東京都「企業でできるがん対策事例紹介集」)
企業が従業員の治療と仕事の両立を支援するという点では、「業務災害総合保険」など企業が任意で加入する労災保険を活用する方法もあるでしょう。損害保険会社が取り扱うもので、業務上に加えて業務外の病気やケガでの入院や手術などの費用を補償するもので、中小企業の福利厚生などにも活用されている保険です。
なかでもAIG損保は、2019年6月に発売した「がん通院治療費用支援特約(ハイパーメディカル プラス)」で、がん治療のための通院治療費の実費補償も開始したようです。
参照:AIG損保「業務災害総合保険(ハイパー任意労災)」
参照:AIG損保プレスリリース「「業務災害総合保険(ハイパー任意労災)」に業界初“がん通院治療費用支援特約(ハイパーメディカル プラス)”を追加」
医療用語を業務用語に変換 病院と職場の連携強化も大事
従業員の両立支援でもうひとつ重要なのが、医師の判断を業務の現場での判断や行動に適切に結びつけることと、武藤准教授は強調します。医師は病名や症状などを基本に診断書や意見書を記載しますが、これは必ずしも職場で具体的にどんな配慮が必要か、リアルなイメージにつながるものではありません。
たとえば「下痢、倦怠感等認めるが、一定の配慮のもと、就労可能」と判断されても、その人が職場で具体的にどの業務なら従事できるのか、勤務先の責任者や同僚には判断がつきにくいものです。
これが、「1日に5~10回、トイレのために離籍の可能性。座り仕事、事務作業などであれば就労可能。復職後しばらく、立ち仕事は難しい」のような表現であればどうでしょうか。本人も上司や同僚も、どの仕事を任せればよいか、どんな配慮をすればよいかを判断しやすくなります。
このように医師の判断を「疾病性の言葉」から「事例性の言葉」に変換して職場に伝えることが、がんをはじめ病気と仕事の両立には重要といいます。
武藤准教授は、順天堂大学の遠藤源樹准教授とともに厚労省研究班として行った「がん患者の就労継続及び職場復帰に資する研究」にて、これをIoTを用いて実現するソフトウェアを開発。おもに医師向けに開発された「がん健カード作成支援ソフト(がん共通版)」では、ソフトウェアの指示に従って患者さんの症状等をクリックするだけで職場への就労に関する意見書を作成でき、がんにかかった人の職場復帰の支援に活用できるといいます。
(この項参照:順天堂発「がん治療と両立の支援ガイド」)
がんと付き合いながら仕事を続けるために
がんだけでなく、働き盛りに病気にかかることは本人やその家族だけでなく、勤め先の企業にとっても大きなダメージです。治療との両立を本人任せにするのではなく、経営課題として企業が積極的にサポートすることは、個人にとっても企業にとってもサステナブルな生産性につながるはずです。
人生100年時代の仕事のあり方には、健康なときに限らず病気になっても働ける柔軟さが求められるでしょう。職場でのがんの理解が進み、両立支援の体制が充実することで、その実現可能性が広がっていくのではないでしょうか。
加藤 梨里(かとう りり)
ファイナンシャルプランナー(CFP®)、健康経営アドバイザー
保険会社、信託銀行を経て、ファイナンシャルプランナー会社にてマネーのご相談、セミナー講師などを経験。2014年に独立し「マネーステップオフィス」を設立。専門は保険、ライフプラン、節約、資産運用など。慶應義塾大学スポーツ医学研究センター研究員として健康増進について研究活動を行っており、認知症予防、介護予防の観点からのライフプランの考え方、健康管理を兼ねた家計管理、健康経営に関わるコンサルティングも行う。マネーステップオフィス公式サイト
この記事は、AIGとアゴラ編集部によるコラボ企画『転ばぬ先のチエ』の編集記事です。
『転ばぬ先のチエ』は、国内外の経済・金融問題をとりあげながら、個人の日常生活からビジネスシーンにおける「リスク」を考える上で、有益な情報や視点を提供すべく、中立的な立場で専門家の発信を行います。編集責任はアゴラ編集部が担い、必要に応じてAIGから専門的知見や情報提供を受けて制作しています。