流行語大賞に「One Team」が輝き、満開のラグビー桜に新時代の幕開けが彩られた令和元年。
その締めくくりに、ラグビーと幕末の偉人・勝海舟との奇縁について記された素晴らしいコラムに出逢いました。
著者は、歌手で俳優の武田鉄矢さん。ご自身がボーカルを務める「海援隊」の名が示す通り、学者顔負けの幕末研究者であることはつとに知られていますが、ジャンルを超えて実に博識で、しかもその才筆たるや読む者の心をさらって離しません。
勝海舟はなんと言っても、我が「作新学院」の名付け親。そして、最も尊敬する歴史上の人物の一人でもあります。
幕臣でありながら西欧列強に本気で対抗するため、幕府軍ではなく「日本海軍」の創設を目指したり、敵陣トップの西郷隆盛と直談判して江戸無血開城を実現させ、江戸の住民150万人の生命と財産を戦火から救ったり、幕藩体制という社会制度や社会通念が根本から激動・激変する乱世において、常に大局を見据えブレることなく、自身の判断・行動を貫いた人でした。
ただ、地位や名誉、見栄や外聞といった近視眼的で世俗的な由無し事は正直かなりテキトーなところが多かったようで、かの咸臨丸で太平洋を渡った際も、実質的な船将(キャプテン)でありながらひどい船酔いのため私室に篭ったきりだったとか、黒船について学んだ海軍伝習所時代のノートに落書きされていた、船を走らせるための計算式のほとんどが実は間違っていたとか、行く先々の女性と恋に落ちお子さんも沢山いて、本宅にお妾さんが同居していながら波風が立たなかったとか、とにかく世間の掟や常識破りの逸話には事欠かない、豪胆にして飄然、そして何より情が深く愛に溢れた人物でした。
武田鉄矢さんは、こうした掟破りの勝海舟と、サッカーボールを抱えてゴールに駆け込むという謂わばルール違反の椿事によって始まったラグビーの類似性について、次のように言及されています。
「…そんな苦手のある人だから新しいゲーム創生の人となれたのです。
海舟一代の見事さは抱えたボールを後ろの人へパスで回したことで、そのボールを受けたのが坂本龍馬、そして海援隊の面々で…」※『VISA』2020年1月号「鉄矢の幕末偉人伝」から抜粋
自分を出世させてくれる上司や時の権力者に対してではなく、自分の後から来る次代へパスを回し、日本の歴史というゲームの針を前に進めた勝海舟。
しかし、ラグビー精神と勝海舟の類似性は、それだけでは無い気がします。
ノーサイドとなった後、勝は一度敵対した相手に対しても、心からの敬意を払い誠意を尽くす人でありました。
有名なのは、西郷隆盛。西南戦争によって逆臣となってしまった西郷隆盛の名誉回復のために奔走し、天皇の許可を得るなどして上野の銅像建立にも尽力しました。
私も洗足池に墓参し、この留魂祠の碑文を読んだことがありますが、不条理な乱世にあがらい翻弄されながら、世間からの毀誉褒貶にいたぶられた二人でなくてはわからない、痛切なる絆が両者の間に存在したことをうかがわせる文面でした。
命がけの死闘を繰り広げたラガーマン同士でなくてはわからない、尊敬と友情に重なるような二人の絆です。
ノーサイドとなった後、勝海舟が尊重し尽力したのは西郷隆盛だけではありません。
かつての主君であった徳川慶喜には、会津、薩摩、長州など各藩との停戦交渉を命じられ奮闘している最中、ちゃっかり勅命を取りつけ停戦命令を出されたたことに憤慨し御役御免を申し出ながらも、明治維新後には朝敵となった慶喜を赦免させることに尽力し、徳川家を守っています。
また、明治維新とともに失職した旧幕臣の就労先の世話に奔走し、資金援助や生活保護を長きに亘り続けました。
ノーサイドからちょっと話はズレますが、作新学院とのつながりで言えば、足尾鉱毒事件をめぐっての政府対応も勝は厳しく糾弾し田中正造を支援したそうですが、本学の創立者 船田兵吾も田中正造をかくまい、その意趣返しもあって本学は、その後数十年にわたり公から校長を送られることになり、教育の自治を脅かされました。
勝海舟が四書五経『大学』の一節「日新、日々新…作新民(新しき民を作せ)」から、次代を担う者たちの学び舎に命名した「作新」。
そこには、足で蹴るべしと定められたボールを抱えて走るくらい自由闊達な発想の転換による「イノベーション」を、鼓舞する思いが込められているように思えます。
世界の分断が進み、経済・財政、教育・科学技術、環境とどの指標をとっても日本の沈下に歯止めがかからぬ昨今ですが、勝海舟を見習って(まぁ、そう簡単に見習えやしませんが)自由に飄逸に、しかし本質的課題から目を背けることなく粘り腰で、生きて行かねばと思う年の瀬です。
久しぶりに勝先生に会いに、日本酒と線香でも持って洗足池を訪ねてみましょうか。
(んっ、たしか勝海舟も西郷隆盛も下戸だったような…)
編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2019年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。