ゴーン逃亡劇を許した日本の官憲を「恥」とは思わないワケ

座右に置いている渡辺京二の「逝きし世の面影」(平凡社)では、幕末に日本を訪れた多くの外国人の日本人に対する好感譚が山ほど読める。貝塚で知られるモースの次の話など、読むたび筆者の頬を緩ませずにはおかない。

錠をかけぬ部屋の机の上に私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは日に十数回出入りしても、触ってはならぬ物には決して手を触れぬ。私の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、ポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気が付いてそれを持ってきた・・

貧しいけれども清潔で朗らかで正直で他人を疑わない多くの日本人に外国人は驚嘆した。そういった性善説に立つ日本人の一端が今回のゴーン逃亡劇に表れたように筆者には思え、とても関係者を責める気にはなれない。付け込まれた側より、付け込んだゴーン被告の悪賢い非が余りに明らかだからだ。

Norsk Elbilforening/flickr:編集部

レバノン政府は否定するも政府関係者が出迎えたともされるレバノン空港まで、ゴーン被告はプライベートジェットで関西空港から12時間かけてイスタンブールに飛び、そこで乗り換えたとされる。彼は2日、「独りで出国の準備をし、家族は全く何もしていない」と述べた。が、誰が信用するものか。

「正義から逃れた訳でない」、「不公正と政治的迫害から逃れた」と彼は自己を正当化し、日本の司法制度との戦いの布石を打った。WSJ紙なども同調し、彼が「当初は罪状のないまま数週間にわたり身柄を拘束され、弁護士の立ち会いなしで取り調べを受けなければならなかった」、「日本では99%超の被告が有罪になる」などと擁護した。同じ穴の貉だ。

今後、この種の日本の司法制度に対する批判が増しゴーン被告を擁護するだろう。が、そのことは逮捕以降からこれまでにほぼ語り尽くされているので、本稿では「今回の脱出劇」に係るゴーン被告の法令違反と「犯罪人引渡」に係るレバノン政府と日本政府との立場について考えてみる。

ゴーン被告の出入国管理法違反(不法出国)は明白だ。検察当局は同法違反などで捜査を開始し、警視庁に協力を要請した。同被告は保釈の条件として海外渡航を禁止されていた上、彼の出国記録がデータに残っていないので不法出国はほぼ間違いない。東京地裁も既に同被告の保釈を取り消したとされる。

出入国管理法は出国の際に空港などで入国審査官の確認を受けることを定める。違反者は1年以下の懲役か禁錮。同被告のように懲役や禁錮で3年以上に当たる罪で起訴された被告が出国する際は、捜査機関から通知を受けて入国審査官が捜査機関へ通報し、出国手続きを24時間留保できると定めている。

ゴーン被告自らがレバノンにいることを明言している以上、保釈条件に違反して海外渡航したこと、および出入国管理法に違反して不法出国していること、の二つは否定できない事実だ。いくら日本の司法を不公正だなんだと言い立てたところで、この二つの罪を免れるものではない。

次に「犯罪人引渡し」の件。こちらは昨年春以来の香港での抗議活動の発端になった「逃亡犯条例改正案」のことがあるので、今では日本でもその名前を聞いたことのない人は少なかろう。「現代国際法講義」(有斐閣)は「犯罪人引渡し」をこう解説する。

他国等で犯罪をおかし自国内に滞在する者を他国からの請求に応じて訴追・処罰するために引き渡すことを「(逃亡)犯罪人引渡し」という。一般国際法上、国家には犯罪人引渡しの義務は課されておらず、引渡しは、「犯罪人引渡条約」に基づき、或いは請求国との相互主義が保たれることを条件とした国内法に従って行われ、また国際儀礼によることもある。

これも香港の件で知られるようになったことだが、日本が「犯罪人引渡条約」を結んでいるのは米国(1980年発効)韓国(2002年発効)の二ヵ国だけ。その理由の一つに、死刑制度のある日本と同条約を結ぶと引き渡した犯罪人が死刑になるから、というのがある。EUなどを含め世界の国の7割は死刑制度を持たないからきっとそうなのだろう。が、日本は日本だ。

さて、前掲書の解説通りなら、同条約が結ばれていなくとも各々の国内法に基づく相互主義や国際儀礼によっても引渡しが行われることがあるようだ。日本にも「逃亡犯罪人引渡法」なる国内法があり、日本で逮捕した容疑者の引き渡し要件が定められている。ここでいう容疑者とは専ら外国人だ。

引渡し対象となる犯罪(引渡犯罪)は一般に重大犯罪に限られ、軽微なものは除外される。また引渡請求国と非請求国双方の刑法で犯罪とされるものに限られるのが通例(「双方可罰の原則」)で、例えば日米間の犯罪人引渡条約の付表には、引渡し対象となる具体的な犯罪名が43項目も列挙されている。

また「自国民不引渡しの原則」を定める条約や国内法もある。が、必ずしも一般的でなく、自国民引渡しを認める英米諸国の有力な国際慣行も存在する(前掲書)。日本は自国民の不引渡しが原則だが、米国とは、被請求国は自国民引渡の義務は負わないが、裁量により引き渡せるとしている(条約五条)。

今回、日本は国際刑事警察機構(ICPO)を通じてゴーン被告の身柄拘束を求める「国際逮捕手配書」をレバノン政府に提出した。受領した同国政府のセルハン法相はAP通信に、「日本との間に犯罪人引き渡し条約はなく、被告を引き渡すことはない」と述べ、同国司法当局が同被告の事情聴取を行うことに含みを持たせたと報じられた。

事情聴取とは「代理処罰」のことだろうか。ある国で犯罪をおかした被疑者が母国または第三国へ逃げ込み、当該国の捜査権が及ばない場合に、逃げ込んだ国に対して捜査及び裁判を行うことを要請する制度を代理処罰という。が、本件で日本がレバノンに「代理処罰」を要請するなどあり得まい。

要請もない「代理処罰」など考えずに、レバノン政府は日本政府が要請した「犯罪人引渡」に応じよ。条約がなくとも相互主義に基づく国内法や国際儀礼によって対応が可能だし、自国民不引渡しにしても、必ずしも国際慣行とはなっていない。要はレバノン政府の裁量次第ということだ。

ロイターが1日に報じた「ゴーン氏も仲間入り、身柄引き渡しに抗う世界の経営者」は興味深い。そこには、米国から逮捕状が出ているVW排ガス不正のヴィンターコーン元CEO、イラン制裁違反の華為CFO孟晩舟、返済の意図なくインド銀行から140億ドルを引き出し、インドから引き渡しを求められている英国在住の富豪マリヤ氏などの名があり、多くは政治的意図があると主張しているそうだ。

「政治犯不引渡しの原則」には変遷がある。かつて欧州では政治犯のみが引き渡されていたが、18世紀からは普通犯も引き渡され始めた。交通の発達で国外逃亡が増える中、フランス革命後の政治的自由の観念の普及や革命による政体変更の多発に伴い、政治犯不引渡しの慣行が確立していったという。

世界を股にかけた金の亡者による経済犯罪に過ぎない事件に、ゴーン被告が早々と「政治的迫害から逃れた」と表明したことの意図はここにある。ゴーン被告に同調しこれを擁護する輩を、我々は、金のためなら何でもする亡者、或いは国際社会を破壊するグローバリストと見てまず間違いなかろう。

日本から忽然と外国要人が消えたといえば金大中事件を想起するし、犯罪人引渡では香港の抗議デモが今も進行中だ。前者は日本に対する韓国の重大な主権侵害であり、後者は中国による香港市民への深刻な人権侵害だ。それに引き換え本件は単なる金の亡者に過ぎない経済犯の逃亡劇、騒ぐに値するか。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。