常見陽平氏の記事「夢を壊すなドラえもん 50周年記念広告は空前の駄作である」を読みました。常見氏のように、50周年記念広告に怒りを覚えることはありませんでしたが、新しいドラえもんに少しがっかりしてしまったことを思い出すとともに、AIという言葉をあちこちで耳にする今だからこそ、昔のドラえもん映画の傑作『ドラえもん のび太と鉄人兵団』について書いてみるのもよいかなと思った次第です。
また、ここで紹介するドラえもん映画は1986年に公開された旧バージョンであり、少しゲンナリしてしまったリメイク版ではないことも書き記しておきます。(以下、映画のネタバレあり。)
本作は、地球征服を企むロボット集団 VS ドラえもんたちという、なんだかありがちな構図で話が進むのですが、中盤以降、そんなありきたりな話の様子が変わっていきます。ターニングポイントは、敵である少女型ロボット「リルル」を静香ちゃんが看病する次のシーンでしょう。
「でも、まだ動きまわっちゃだめ!せっかくなおりかけた傷が開いちゃうから。」
「……人間のすることってわからない。どうして敵を助けるの。」
「ときどきりくつにあわないことをするのが人間なのよ」
(藤子・F・不二雄著『大長編ドラえもんVOL.7 のび太と鉄人兵団』小学館、1987年)
以降、理屈にあわない非合理的な人間の振る舞いを不思議に思ったリルル自身が、だんだんと理屈にあわない行動をとり始めます。ロボットの親分に地球征服のカギとなる情報を伝えるため静香ちゃんから逃げ、その道中にのび太から受けた「行けば撃つぞ」との警告に対し「いいわ、撃って!」と応じてみたり(※映画版)、のび太を気絶させてまで親分の元に駆け付けるものの、結局はその情報を伝えられずロボット側から反逆者扱いされてしまったりと、もはやその行動は支離滅裂と言ってもよいくらいです。
漫画原作でリルルがロボットの親分に言ったように、手当てを受けているうちに思考回路がおかしくなったのかもしれませんし、今風に言えば、少女型(=人型)ロボットが人間の非合理的な部分を学習してしまったのかもしれませんが、その真相は分かりません。ただ、それまでの合理的な行動とはまるで違うことだけは確かです。
人間って非合理的だよね、という話ならば、様々な識者が過去に主張しているところでしょうし、私も何度か目にしたことがあります。だから、先に紹介した静香ちゃんの「ときどきりくつにあわないことをするのが人間なのよ」は、見る人によっては凡庸なコメントなのかもしれません。
しかし、そうした主張は、大概は大人向けに書かれた文章のなかで見られるものでしょう。新聞記者の知人が、子供新聞は力量がないとやれないと言っておりましたが、本来であれば大人向けのメッセージを子供が読んでくれるように書き直すという作業は、やはり相当に難しいのでしょう。
学習塾の生徒から難解な質問を受けるたびに、どうやって答えてよいものか悩むことがしばしばある私としては、畑は違えど子供新聞の難しさはなんとなく理解できます。そして、だからこそ、このドラえもん映画は凄いと思うわけです。
大の大人が難しい顔をして読んでいるような本と同等の内容を、それも子供たちに飽きさせずに伝えてしまうのですから、これは並大抵のことではありません。かつてアメリカで黒澤明監督の映画『生きる』を放映したところ「これこそが実存主義だ!」とアメリカ人から賛辞を受けたというエピソードを本で読みましたが、それに通じるものがあります(台風により消失し書籍名不明)。
映画のラストは、ある意味で最も人間らしい非合理的な方法でリルルが地球を救います。人間に惹かれ変わっていったリルルが、人間以上に理屈に合わない行動を取り、人間より人間らしくなったとも言えます。安直なラストであるという批判も聞こえてきそうですが、これ以外の最後はなかったように思います。
Abemaプレミアムやアマゾンのプライムビデオで視聴できますので、気になった方は是非ご鑑賞ください。友人・知人の映画マニアも絶賛の作品なので、決して損はないと思います。
物江 潤 学習塾代表・著述家
1985年福島県喜多方市生まれ。早大理工学部、東北電力株式会社、松下政経塾を経て明志学習塾を開業。著書に「ネトウヨとパヨク(新潮新書)」、「だから、2020年大学入試改革は失敗する(共栄書房)」など。