(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
2020年春に中国の習近平国家主席を国賓として日本へ招くという計画が論議を呼んでいる。この来日での最大のイベントは、天皇による接遇である。
中国は自国民への苛酷な人権弾圧や海洋での軍事拡張で国際的に非難されているが、国家元首が日本の皇室に丁重に接待されるという構図が中国の対外イメージの改善につながることは確実だろう。だからこそ中国側は習主席訪日に並々ならぬ熱意を示すのだ。
実は、中国当局によるこの種の「日本の天皇の政治利用」は1990年代にもみられた。天安門事件における自国民虐殺で国際制裁を受けた当時の中国政府が、日本の天皇の来訪を突破口にして「制裁打破」へと動くことに成功した。
この中国側の計算を、当時の外務大臣だった銭其琛氏が回顧録で明言している。以下では中国側の日本の天皇利用戦略を再現して、今後の日中関係のあり方を考える指針としよう。中国側の対日戦略の読み方の一助ともなるだろう。
制裁打破への「突破口」にされた日本
中国共産党政権は1989年6月4日、民主化を求めて北京の天安門広場に集まっていた多数の市民を武力で弾圧した。死傷者数は数百とも数千とも言われる。世界の主要各国、とくにいわゆる“西側”の民主主義諸国は激しく反発し、G7の主要7カ国が中心となって中国との交流や経済上の取引、援助などをほぼ全面的に中断した。