平手友梨奈「欅坂46」電撃脱退の真相 孤立呼んだ前代未聞の衝撃事件(東スポWeb)
欅坂46の構成員が数名やめた。この件、平手友梨奈は「脱退」で織田奈那、鈴本美愉は「卒業」、佐藤詩織は「活動休止」だった。さらに、Alexandrosからはドラマーを担当構成員が「勇退」。健康上の理由によるという。
この構成員がやめることについての書き分け方はなんだろう。明らかにニュアンスの違いを感じる。モヤモヤする。
さて・・・。春だ。意識高い系ウォッチャーとしては、たまらないシーズンである。というのも、退職、異動などに関する「転身ポエム」が跋扈する時期だからである。今年はnoteやYou Tubeで転身について無駄に熱く語る奴が増えるだろう。これに対する関係の薄い仲間からの熱い書き込みアピールなども含めて香ばしく。見ていてたまらない。
SNSでニヤニヤしてしまう、「転身ポエム」を分析してみた|常見陽平のサラリーマン研究所(ITmedia ビジネスオンライン)
以前、こんなエントリーを書いたのだが・・・。ここでも触れているとおり「転身ポエム」に影響を与えているのは、2006年の中田英寿の引退ポエムだろう。公式サイト「nakata.net」上にアップされた。
「人生とは旅であり、旅とは人生である」という意識の高いタイトルは破壊力抜群である。書き出しはこうだ。この書き出しを読むだけで卒倒しそうになった。
俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった
さらに、これは、「転身ポエム」の「型」を提示している点が重要だ。これからどうせ、あなたの身の回りでも転身ポエムを書く奴が一人や二人はいるだろう。次のような文章構成になっていないか?
○○との出会い→成長→活躍→成功体験→いくつかの転機→今回の決断に至った経緯→謝辞→決意表明→感謝
これは、中田英寿の引退ポエムが提示した「型」である。これを踏襲しているはずだ。いや、本人が中田の引退ポエムを読んでいなかったとしても、その影響を受けた文章を一度くらいは読んでおり、参考にしているのではないか。
さて、この手のポエムでは、会社を辞めることを「卒業」と呼ぶ。私の古巣、リクルートなどに顕著だ。いや、リクルートが広めた悪しき文化の一つである言っていい。
会社をやめるときに「卒業」と言うのは「意識たけえ」とか「うざい」という心の中の叫びはいったんおいておいて(しっかり書いてる・・・)、物事への向き合い方として反対なのだ。これは、会社との関係が歪んでいないか。
卒業と呼ぶからには、単位をとったのか。1年や2年で辞めることを「卒業」と呼んでいいのか。労使関係から見てどうなのか。意識高い系がよく言う「会社と対等な関係であるべき」という前提からしてもどうなのか。笑止千万の妄言である。
一方、これを機会に会社をやめることを「脱退」と呼ぶムーブメントが起きるといいなと思っている。明らかにブラックな企業、方向性が合わない企業をやめるなら「脱退」でいいのではないか。「僕は嫌だ」と叫びたいのだ。
そもそも、就職、就社、退社、退職という言葉が気になっており。就職、退職というが、少なくとも新卒一括採用で会社に「入る」のであって、多くの人は「職」にはつかない。さらには「退職」と言うが、やめてからも別の会社で「営業」という「職」は続けることもあるわけで。この一般的に使われてはいるものの、実態を捉えていない言葉が日本の労働社会を象徴している。
「卒業」とのことなので、私が2014年に大学院修士課程を修了した際の卒業写真をさらしておく。この頃はモップ頭ではなかったんだな。一応、アッシュを入れていると思うのだが、茶髪ではなく。いまよりも豚野郎だが、茶髪度が低い。一番前の席でMacBook Airとモンブランのボールペンでメモをとり、教授に噛みつき、紀伊国屋国立店で買った寿司弁当を食べ、たまに「仕事があるから」と講義を早めに抜けていく、いやな院生だった。
というわけで、話が例によって拡散したが、会社をやめることを「卒業」という奴が嫌いだということと、でもこれからはブラック企業や方針が合わない企業をやめるときは「脱退」でもいいのではないか、と思った次第である。うむ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。