沖縄県警捜査一課は29日、首里城火災の原因を特定できなかったと発表した。これにより、発生からまもなく3か月を迎える火災の捜査はあっけなく終結した(参照:沖縄タイムス)。
事件性は低いとみられたものの、那覇市消防局が昨年11月に正殿北東側の電気配線にショート痕の可能性を指摘しており、昨年2月に国から首里城の管理を任された沖縄県の責任問題に発展するかどうか、展開によっては、安倍政権と対立する玉城デニー知事の「失政」にもなり得ただけに、政局的な注目を集めたが、捜査打ち切りによって、刑事責任の追及はおろか、そもそもの原因もわからないままになった。
県警は玉城知事に忖度したのか?
ネット上では、捜査打ち切りについて「玉城知事に忖度したのではないか」とか、「原因不明のまま県が管理し続ければ、また火災が起きかねない」といった声が噴出している。
ただ、注目度の高い火災案件で原因不明のまま捜査打ち切りはしばしばあるのも事実だ。
首里城と同じく歴史的建造物の大火災として、日本人の記憶にも新しいパリのノートルダム寺院の出火原因は、発生から2か月後の昨年6月、フランスの検察当局が原因究明を断念している。火災直後には、作業員のたばこの不始末や電気系統の故障などが報じられたが、結局有力な証拠は見つからなかった。捜査は一応、予審判事に引き継がれているが、特定は難しいのだろう。
国内のケースでは、2006年に長崎県大村市のグループホームで認知症入居者7人が亡くなった火災について、長崎県警が捜査を打ち切ったことがあった。このときも入所者の喫煙情報や現場にライターの破片が落ちていたことなどから、たばこの不始末が原因という見方が有力だったが、火災原因を特定できず、防火設備や夜間勤務体制に法令違反が確認できなかったことから、県警は業務上過失致死容疑での立件をあきらめた(参照:当時の毎日新聞、東京新聞)。
今回の沖縄県警の捜査終結の妥当性について、このあと、那覇市消防局の関係者などが週刊誌あたりに「カウンター情報」をリークし、県警の捜査能力に疑問符が付くような事態になれば、問題は再燃するかもしれないが、その可能性はかなり難しいのだろう。
個人的には物証を鑑定したのが県の「科捜研」で、東京の警察庁管轄の「科警研」などで鑑定していれば、何か違う結果が出た可能性もあったのかどうか、非常に気になるところだが、もはやこれで終わりなのだろう。
安倍政権にとっても回避できた事態とは?
いずれにせよ、真の原因がなんであれ、政治的に見れば、この捜査打ち切りによって、玉城知事や沖縄県が失火(?)責任を逃れられるだけではない。こう書くと意外に思われそうだが、玉城県政と基地問題で厳しく対立しているはずの安倍政権にとっても都合はいい。
もし仮に、失火だと原因が特定されて県に刑事責任が及ぶような事態になれば、玉城知事の進退はとは言わないまでも、政治的なダメージは小さくなかったのは火を見るよりも明らかだ。
一方で、この3か月弱の安倍政権の対応はといえば、元日にも書いたように、県側がまるで置き去りにされるほど、国主導で首里城再建のアクションが突き進んでいる。県や那覇市が再建費用として集めた寄付額はすでに14億を超えており(29日時点)、国費だけで焼失部分の再建となった場合に、その使い道が宙に浮いて「火種」になりつつあることも既に書いたとおりだ。
だから、県の責任が立件されるなら、基地問題で対立する安倍政権にとってはたしかに政敵排除に一見“好都合”なようだが、すでに地元メディアでは「選挙で苦戦を強いられている沖縄で、県民の要望に応えることで理解を引き出したい思惑もにじむ」(沖縄タイムス)といった見方も出ていただけに、中央政府が沖縄側の弱り目を突いたという構図で県民に受け取られかねなかっただろう。
国と県は“WIN-WIN”の結果に
しかし、捜査の妥当性に関係なく、火災の原因が事実上棚上げされ、県の責任が曖昧になれば、安倍政権として「より好都合」ともいえる。県の責任についてことを荒立てる必要なしに「沖縄に寄り添って共に沖縄のシンボルを復興した」という美しいストーリーを完成させられる。自民党政治に厳しい県民の心象にわずかなプラスはあってもマイナスはないだろう。
あまりそうしたことを強調すると、アンチ安倍、アベノセイダーズの方々が「沖縄県警は安倍政権に忖度したのだ!」などと口角泡を飛ばしそうだが、もちろん、私とて、沖縄県警が最善を尽くしたのか、政治への忖度が全くなかったのか、疑わしくは思う。
そもそも出火原因を曖昧なまま県に管理を委ね続けることを危なく感じているからこそ、玉城県政下での首里城再建に反対もしてきた。しかし、二階幹事長クラスの老練な政治家に言わせれば、私のそうした考えは「ケツの青い小僧」と一蹴されてしまうかもしれない。
いずれにしても、首里城火災の捜査終結で再建への動きは一気に加速する。国と県が“WIN-WIN”になる結果は、下戸には味わいがとうていわからない、玄人好みのコクのある蒸留酒を呑まされるのに似た思いだ。政治の世界は深い。