スペインで最大銀行バンコ・サンタンデール(Banco Santander)は総資産の世界ランキングで見ると16位。その前14位に三井住友フィナンシャルグループそして15位にみずほフィナンシャルグループがランキングされている。(参照:ja.fxssi.com)
年俸13億円、銀行家ファミリーの出身
バンコ・サンタンデールの頭取アナ・パトリシア・ボティン(58)はフォーブスが2019年度の世界で最も影響力を持っている女性10人の中で8位にランキングしている。(参照:forbes.es)
彼女の昨年の年俸は1100万ユーロ(13億円)。(参照:elconfidencial.com)
曾祖父の代から続いている銀行家の家系である。彼女の父親エミリオ・ボティンは他の銀行と対等合併をした後、合併した相手銀行もあたかも自分の銀行であるかのように最終的には支配してスペインで最大銀行に育て上げた人物だった。
エミリオ・ボティンが2014年に亡くなった後、アナ・パトリシア・ボティンが頭取として銀行経営に携わっている。
これまで銀行というのは、一般に良く知られた企業とは異なり市民とは少し距離を置いたような存在として映っている。その殻を打ち破りたいとして、年明けにアナ・パトリシア・ボティンは冒険家ヘスス・カジェハのテレビ番組「プラネタ・カジェハ」に出演してグリーンランドを訪問。番組の中で彼女がソフトで親近感を持たれるような印象を視聴者に与えれば、彼女の銀行そのものも市民からより親近感を持って見られるようになる、と彼女は考えたようである。
そのためにもカジェハは二人の対話の中から彼女のより人間的な面を引き出すことが務めとなった。この試みに数紙が関心を示し、テレビで放映された内容から各紙がそれをまとめている。筆者は各紙がまとめた内容を以下に抜粋することにする。出演にあたって彼女が条件を付けて来たのはWifiと携帯電話が使える場所であるということだった。録画中も朝は5時30分に起床して夜は10時に寝るといういつもの習慣を守った。
流産歴、父との対峙…過去の心境を吐露
アナ・パトリシア・ボティンは13歳の時から30歳まで外国で生活していたそうだ。それは彼女の母親パロマ・オシェアの考えが影響しているという。現在83歳の母親は侯爵の称号を持ち、ピアニストで、慈善家でもある。彼女が主催しているパロマ・オシェア国際ピアノコンクールは良く知られている。余談になるが、ゴルフ界に王者として君臨した故人スペインのセベリアーノ・バリェステロスは彼女の妹と結婚していた時期があった。
スペインで生活を始める前は米国ウォール・ストリート街で勤務していた。スペインに戻る決心をしたのは流産をしたのが理由だと録画で告白もした。彼女の主人ギリェルモ・モレネスはアンダルシア地方の貴族の家系出身だ。彼女はスペインに戻ってからは父親の銀行で勤務を始めた。
1999年2月22日に父親から電話が入って「銀行にとって良いのは、お前が銀行を出て行くことだ」とぶっきら棒に伝えたのであった。
その理由というのは、バンコ・サンタンデールとバンコ・セントラル・イスパノが対等合併をするのに、後者がその為の条件としてアナ・パトリシア・ボティンが前者から去ることを要求して来たのであった。
というのは、その1週間前にスペイン代表紙『El País』が週末に発行する週刊ジャーナルの中で「ボティンの家族でないと銀行の頭取にはなれない」という内容の記事を彼女の写真入りで掲載したのである。すなわち、この合併が成立した暁にはいずれアナ・パトリシア・ボティンが頭取になることが約束されているように後者は受け取ったのであった。
彼女が仕事で最も好きなこととは…
彼女はそれを父親から言われたことには理解できるとしても、その表現の仕方が彼女にとって当時精神的に傷ついた、と告白した。父親は合併に際し、株主総会の席で彼の娘が同行から出ることはこの合併を成立させるための必須条件であった。そのために家族を犠牲にしても仕方がないと判断したのであった。合併することが今後の同行の発展が約束される唯一の道だとエミリオ・ボティンは判断したのであった。
そこで彼女は退社して、自分で投資会社と財団を設立したのであった。それが3年続いた。その3年間にエミリオ・ボティンは合併した相手方の銀行を完全に掌握したのであった。そして娘が同行に復帰することに誰も反対しない環境を作り上げたのであった。
2014年に父親が79歳で亡くなると、彼女が頭取に就任するのであるが、番組の中で「私がこれまでこなして来た経歴と他の候補者のそれとを比較しても、私がもっと適任者であった。しかも、私は国際分野での経験もある。他の候補者にはそれがなかった」と語った。さらに、「責任あるこの(頭取の)ポストは社会的にインパクトを肯定的に与えることが出来て重要なものです。というのは、人々が物事を行動に移すことができるようになるからです」とも語った。
そして彼女が仕事で最も好きなことは、「人々の人生を変えることができるというそのインパクトです」「私は銀行の持ち主ではない。私は銀行の最高責任者だということです」と語って責任者としての重責を十分に認識していることを告白したのである。
デジタル経済や欧州の競争遅れに不満も
その一方で、彼女は最近の銀行でもない組織が融資サービスを提供していることに強い憤りを感じていることを表明した。デジタルによる支払や融資などがそうである。「銀行業務でもそのようなサービスはできるが、問題はそのスピードが銀行では遅いということ。それも法令化されて規制が設けられるようになるはずだが、それがいつ法令化されるのか」ということに彼女は不安を表明した。その間、本来の銀行のお客が逃げて行くからである。
また彼女は「ヨーロッパは注目に値されるものを持っている。しかし、ヨーロッパはスピードが遅い。その遅さが問題だ。なぜなら中国そして米国と競争して行かねばならないからです」と述べて現状のヨーロッパの対応の遅さに憤慨し、また将来への不安を表明した。
そして彼女が指摘しているのは、
「ヨーロッパでこれらのサービス提供の発展が遅いと、中国がそれを発展させて規制のない、しかも税金も低いルクセンブルグで登記させて、そこからアプリケーションを発達させて我々が出来ることを彼らが先にやってしまう」
「産業革命はヨーロッパが勝利者となったが、デジタルにおいては中国と米国です」
などと述べた。(参照:okdiario.com)
100年前に起きたことを同じような変革が起きていることを彼女は指摘しながら、失敗することは考えない。
「失敗すると思えば打ち負かされたことになる」「やらねばならないことは上手く行かないことから学ぶことだ」と述べ、「私は21歳の時から働いて来た。今、58歳。色々なことを経験して来た。急激に大きく飛躍するのは良くない。それをうまくこなして行けないからだです」「私のように少しづつ少しづつ進んで行くのとは違う」と語って、彼女は頭取という重責をこなすだけの十分な事前の下積みをやって来たということを自信をもって表明した。
イメチェンは奏功したのか?
対話の途中で本筋から離れて彼女は自分の日程表に触れて、この先3年間は毎週することが決まっていることをカジェハに伝えた。またカジェハが料理するのを知っているかと尋ねると、彼女は野菜サラダ、スペインオムレツ、イタリア風パスタを料理できると答えた。それ以上の料理はできない風であった。そうであろう、彼女は自分で料理するだけの時間もなく、家では料理してくれる人がいるので問題ない。
また彼女は気候変動に強い不安を表明し其れへの取り組みの必要性を強調した。彼女は女性解放主義者でもある。銀行の国際会議がつい最近開催された時に100数行の代表が集まったそうであるが、その時も女性でトップの位置に就いているのは彼女を含め3名しかいなかったことにも触れ、女性がまだ銀行界でもまだ差別を受けていることにも触れた。(参照:elespanol.com)。
今回、彼女のテレビ出演は好意的に受け止められた。果たして、それがどこまでバンコ・サンタンデールのイメージチェンジに繋がったかについては今後の同行の動きに注目せねばならない。