2006年の王子・北越TIB事例、2007年のブルドックソース事件判決の時代から10年以上が経過して、いまふたたび買収防衛策の発動の可否が話題になっています。ガバナンス改革が進み、また平成26年改正会社法によって(上場会社における)支配権異動時の特則普通決議の要件(株主総会)が定められたりと、買収防衛策を取り巻く環境も変化しております。
私自身、あまり法律論に詳しいわけではありませんので、以下は印象論であります。敵対的買収防衛策の是非を論じるにあたっては何をもって「正義」と考えるべきか、といった視点のお話です。
たとえばマクロで考えると、いまのガバナンス改革は「国策」としての意味が大きいわけで、GAFAにMSを加えた米国会社5社の時価総額が500兆円、いっぽう東証一部上場企業2160社を合わせた時価総額が620兆円。もはや日本のマーケットバリューを上げなければ、日本企業にお金が回らない。ということで、上場会社全体の資源の効率化(ヒト、モノ、カネの移動を促すこと)を図ることが、国策としてのガバナンス改革の大前提。「選択と集中」を促進するための「グループガバナンスの実務指針」の考え方もこれに近いのではないかと。
いっぽう、ミクロで考えますと「株主共同利益の最大化を図ること」「脱株主主権主義のもと、ステイクホルダーの利益を保護することで中長期的な企業価値の向上を図ること」が経営陣に課せられた使命。経営陣としては株主全体で「濫用的買収者」を排除しうるお膳立てを構築することが善管注意義務の履行として要請されて当然、とも思えます。「うちのは『買収防衛策』ではない。新しい株主判断スキームだ」とおっしゃる方のご意見も、ミクロの視点で考えますと「なるほど」と思います。
ただ、個人的には「濫用的買収者かどうか、という点は、わざわざ経営者がお膳立てしなくても、臨時株主総会やTOBの公正なルールによって株主自身が判断すれば良いのでは?そもそも今の時代に買収防衛策(株主が判断するお膳立て)って必要ないのでは?」との疑問が湧きます。
「会社の質問にまともに答えない買収提案者」であれば、そもそも他の株主が支持しないので防衛策を発動する必要性に乏しいのでは、と素朴に感じます。TOBに応じる(株を売って出ていく)株主が、なぜ将来の企業価値のことまで真剣に考えるのだろうか…という根本の疑問もありますが、まぁそれは横に置いといて。。。
米国のように取締役の過半数が「経営のことを良く知らない」社外取締役で構成されているのであれば、買収者の提案を社外取締役が真剣に吟味するための「時間稼ぎ」として買収防衛策を導入することには意味があると思います。しかし業務執行を担当する社内の取締役が過半数を占め、買収提案者の意見に十分反論しうる日本企業であれば、買収防衛策がなくても株主はどちらが中長期の企業価値向上を図りうるのか判断できるのではないでしょうか。
決着に影響を及ぼしうる買収提案者以外の大株主も、以前と違って「スチュワードシップ・コード」を遵守する立場にあるわけで、提案者の属性よりも提案理由に関心が向けられるわけですから(今年のコード改訂では「議決権行使理由の開示」まで要請されます)、「濫用的買収者」かどうか、という点は、防衛策導入の是非を判断する側からみてもあまり説得力がないように思えます。
さらに「濫用的」かどうかを判断するのではなく、現経営者と買収提案者のどっちの経営が優れているか…という建付けで「普通決議の総会で決着」という思想も、社外取締役による社長選解任が推奨されているガバナンス改革の方向性と整合性があるかどうか、疑問を感じます。
グリーンメイラーという存在があまり日本で知られていなかった時代には、これを排除する「正義」があったように思いますが、M&Aに関する関係者のリテラシーが向上し、また開示ルールも充実している昨今の状況のなかでは、むしろマーケットバリューを上げること、ひいては株主による経営者管理の手法としての敵対的買収を活性化させることに「正義」を感じる方も増えているのではないでしょうか。
編集部より:この記事は、弁護士、山口利昭氏のブログ 2020年2月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、山口氏のブログ「ビジネス法務の部屋」をご覧ください。