法治主義から人治主義に移り始めているのではないか、などとは言わないが、法の支配原則が最近はどうも貫徹されていないような印象がある。
法の解釈については安定性と一貫性、他の法規との整合性等が求められており、人によって法の解釈や運用が異なってしまうことは極力避けなければならないのだが、最近は時々アクロバティックな法の解釈を示されることがあり、そんなことでいいのかしら、と思うようなことが続いている。
法を制定する時は、出来るだけ曖昧な用語の使用を避け、多義的に解釈される懸念がある時は定義規定を置くなどの工夫をして恣意的な解釈の余地を出来るだけなくすようにして、誰が読んでも同じように解釈されるように努めているはずだが、それでも人によって法の解釈が異なってくることがある。
人は、どうしても自分の都合の良いように法を解釈しがちである。
その人の立ち位置によって具体的法文の読み方が変わることがある。
最近の事例としては、検察官の定年について国家公務員法の任期延長の規定が適用されるかどうか、という問題が起きている。
政府は、検察庁法に検察官の任期延長についての規定がないから、こういう場合は国家公務員法の任期延長に関する特例を適用することが出来る、という立場を取っているが、郷原さんはじめ有識者の皆さんや野党の皆さんの中ではこれは明らかに違法だという意見が有力である。
特別法は一般法を破る、という原則からすれば、後者の議論に従うべきだろうが、しかし、検察庁法に法の欠缺があり、その欠缺の部分は一般法である国家公務員法が補うことが出来る、という考えが成り立たないわけではない。
人によって法の解釈が異なる場合はどうするか。
結局は司法が判断するしかない。
裁判所が違法無効と判断しない限りは、事実上政府の解釈が罷り通ることになる。
もっとも、政府の中にも色々な法の解釈を唱える方がおられるはずで、必ずしも声が大きい人の法の解釈が通用するわけではない。
大方の人が納得するような法の有権解釈を提示するのが、内閣に設置されている内閣法制局である。
少なくとも霞が関の方々は内閣法制局の法の解釈に従う。
その内閣法制局の見解が国会議員の皆さんに支持されないケースが散見され、結果的に内閣法制局の権威が落ちてきている、というのが現在の状況ではないのかしら。
どうも最近は、法の支配の原則が貫徹されていないようですよ。
まあ、私の杞憂でなければいいのだが…。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2020年2月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。