人物を知る

本年、鈴木茂晴さん(日本証券業協会会長)に始まった「私の履歴書」(日経新聞)は現在、樂直入さん(陶芸家・十五代樂吉左衞門)が連載中です。思い返してみますと昨年、「平成最後の年の正月の連載」は石原邦夫さん(東京海上日動火災保険相談役)によるもので、一部で当時大変な話題となりました。

ある経営学者曰く、『僕が「私の履歴書」を読む動機は、それ(=経営者の自伝が勉強になるということ)以上に功成り名を遂げた人々の「センス」を知ることにある』とした上で、石原さんの連載につき、「他の大企業経営者と比べても、つまらなさの次元が違う。それがたまらなく面白い。(中略)その桁違いのつまらなさに、むしろ保険会社の経営者としての凄みを感じた」ということでした。

先ず、センスの有無と言いますと軽く・浅く感じられるため、私自身はそれに足る「人物」であるか否かとしたいと思います。その上で、私からすると、石原邦夫という御方は人物として非常に御立派な方と思います。また、「桁外れにつまらない」と評された連載に関しても、私自身はそういうふうにも思いませんでした。

ある意味非常に難しい時代に当たる指導者もいれば、その逆も然りです。それは、夫々の巡り合せによって色々な違いが起こってきます。概して、大変な難局を切り抜けたといった場合、多数の人がその社長を評価するでしょう。逆に、比較的大事が無く誰でも行けるような環境下で社長職を務めた人は、終生その人物に相応しい評価を受けることがないかもしれません。そういう意味では、様々な経営環境がその人の評価自体を決する部分も色濃くあろうかと思います。

唯、人物というのは経営環境に左右されるものではありません。それは、その人の生き方に依るものです。例えば、『論語』に「君子は人の美を成す」(顔淵第十二の十六)という孔子の言があります。人の長所は長所として認め、人の短所は短所として分かった上で、その「人の美」を追求し、「益々それが良きものとなるよう手伝ってあげよう」とか、「それでも補い切れない欠点は自分が何とかしてあげよう」とかと、思えるのが君子の生き方なのです。

君子と小人の区別は、時代により人により様々です。拙著『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)第四章の3では、「私が考える君子の六つの条件」につき次の通り述べておきました――①徳性を高める/②私利私欲を捨て、道義を重んじる/③常に人を愛し、人を敬する心を持つ/④信を貫き、行動を重んじる/⑤世のため人のために大きな志を抱く/⑥世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける。

その人が君子としての生き方を如何に歩んだかで、経営者としての評価が決すると私は思っています。君子たる道を歩む中で様々な事柄を経験し色々な判断・処理をしてきたものの、それを文書にしてみたら大した事が起こっておらず大して面白味が無かったとしましょう。しかし、その人物は素晴らしい経営者ということではないでしょうか。

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