ローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁は高齢者の集まりだ。それも男性で溢れている。ただし、バチカンにもちょっと変わった聖職者がいる。欧米メディアから“バチカンのジョージ・クルーニー”、ないしは“ヒュー・グラント”と呼ばれ、多数のファンクラブがある、ちょっと渋い2枚目の聖職者だ。その聖職者が現在、バチカン内の保守派と改革派の激しい権力闘争の狭間にあって対応に苦慮している。ドイツ出身のゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教の話だ。
ゲンスヴァイン大司教は南米出身のフランシスコ教皇の秘書(教皇公邸管理部室長)であると共に、生前退位したドイツ人教皇べネディクト16世の私設秘書を務めている。後者の職務は2003年から務めているから非常に長い。そのゲンスヴァイン大司教は世界最小国家バチカン市国内でフランシスコ教皇が勤務するバチカン宮殿とべネディクト16世が住んでいるマーテル・エクレジエ修道院の間を日々、行き来している。
両教皇が住む場所は数百メートルも離れていない。文字通り、フランシスコ教皇とべネディクト16世は隣人であり、その隣人の間を伝書鳩のように毎日、通い、フランシスコ教皇の公務を助ける一方、92歳のべネディクト16世の散歩に付き合う役割を果たしている。
本題に入る。バチカン内では改革派と保守派の権力争いが展開されているが、それ自体、新しいことではない。世界に約13億人の信者を抱えるカトリック教会の総本山で常に両陣営が時には激しく、時には水面下で、主導権争いを展開させてきた。
権力争いが今回、大きくメディアでも報じられた直接のきかっけは、べネディクト16世がギニア出身の保守派代表ロバール・サラ枢機卿(典礼秘跡省長官)と共に独身制に関する本「Des profondeurs de nos coeurs」(仮題「私たちの心の底から」)を書き、その中で独身制の一部緩和を考えるフランシスコ教皇を批判しているとも受け取れる内容を主張しているからだ。本の内容はフランシスコ教皇への警告だと受け取られ、欧米メディアが素早く、「2人の教皇の権力争い」と報じる結果となったわけだ。
それではなぜここにきて聖職者の「独身制の是非」が大きなテーマに急浮上してきたのか。
問題の発端は、昨年10月 バチカンで開催されてきたアマゾン公会議で最終文書(30頁)が採択されたが、その中で、「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と明記されたからだ。
同提言は聖職者の独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策だが、聖職者の独身制廃止を主張するグループからは、「聖職者の独身制廃止への一歩」と受け取られ、欧米教会の改革派を鼓舞し、独身制廃止への要求が一層高まることは必至だろうと報じられてきた。
アマゾン公会議で採択された最終文書の扱いについては、フランシスコ教皇に一任されている。同教皇がアマゾン公会議の提言にOKを出すか否かを、保守派と改革派両陣営は固唾をのんで見守っている。保守派は独身制擁護のプロパガンダを展開し、改革派はフランシスコ教皇に希望を託しているわけだ。
明確な点は、ローマ・カトリック教会の聖職者の独身制は教義(ドグマ)ではないことだ。「イエスがそうであったように」、イエスの弟子たちは結婚せずに聖職に励むことが教会の伝統と受け取られてきた。
ちなみに、べネディクト16世は本の中で、「神父の独身制の価値をおとしめる悪い嘆願や、芝居がかった悪魔のような虚言、流行に押されて教会は揺さぶられている」と警告し、「独身制は教会への神の贈物だ。聖職と独身制は最初から神と人間の新しい結合であり、イエスがもたらしたものだ。西暦1000年頃のキリスト教会では既に聖職に従事するためには男性は独身を義務付けられていた」という。
著者のサラ枢機卿はアマゾン公会議の最終文書の内容について、「アマゾン地域の特殊性を利用して独身制をなし崩しにしようとしている」と批判したうえで、「聖職と独身制には聖礼典的繋がりがある。その繋がりを弱めようとする試みはパウロ6世(在位1963~78年)、ヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)、べネディクト16世(2005~13年2月)の教えに反する。フランシスコ教皇にはそのような試みから私たちを守るようにお願いしたい」と述べている。
ところで、フランシスコ教皇ばかりかべネディクト16世にも繋がるバチカンのジョージ・クルーニーこと、ゲンスヴァイン大司教はその間、何をしていたのか。換言すれば、大司教の危機管理能力を考えたいのだ。
サラ枢機卿の新刊での騒動に対し、ゲンスヴァイン大司教は先月14日、「前法王はサラ枢機卿と出版先に対し、自分の名前と写真を掲載しないように強く要請した。べネディクト16世は出版された新著のような形式(共著)で公開する考えはなかった」と説明、「誤解があった」と語った(バチカン・ニュース)。残念なことだが、大司教の説明では一旦火が付いた保守・改革派の権力闘争は鎮火できないばかりか、火は益々燃え上がってきたのだ。
べネディクト16世は教皇就任の2005年9月、訪問先のドイツのレーゲンスブルク大学の講演で、イスラム教に対し、「モハメットがもたらしたものは邪悪と残酷だけだ」と批判したビザンチン帝国皇帝の言葉を引用したため、世界のイスラム教徒から激しいブーイングを受けた。
世界のエイズ感染者の67%を抱えるアフリカ訪問(09年3月)では、「コンドーム無用論」を発して、リベラルなメディアからバッシングを受けた。
2010年から11年にかけカトリック教会聖職者の未成年者への性的虐待事件がアイルランド、オランダ、ドイツ、オーストリア、スイス、ベルギー、オーストラリア、米国など各教会で次々と発覚し、教会への信頼は完全に地に落ち、バチカンもその対策に奔走する羽目となった。
ベネディクト16世の執事が法王宛の内部文書を盗み、それをジャーナリストに流すという通称バチリークス事件が発生した(「学者法王の8年間とその『試練』」2013年2月13日参考)。
ベネディクト16世時代には多くの不祥事があった。その時、ゲンスヴァイン大司教は常に同16世の傍にいる秘書だったのだ。学者べネディクト16世を不祥事から守るべき立場にあっただけでなく、今回のサラ枢機卿の新著問題でも、2人の教皇の間を取り持つことが出来る数少ない聖職者の立場にあったのだ。ジョージ・クルーニーと呼ばれる大司教の危機管理能力はどう贔屓目に見ても十分とはいえない。
独日刊紙ターゲスポストは6日、「ゲンスヴァイン大司教はフランシスコ教皇からその職務(秘書)を停止させられた」と報じ、フランシスコ教皇とべネディクト16世の2人の教皇が遂に正面衝突か、といった噂が流れ出したのだ。
バチカンはメディアの報道に大慌てとなり、「フランシスコ教皇はそのような人事をしていない」と懸命に火消しに腐心。バチカン法王庁のナンバー2、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は、「教会には改革派、保守派といったグループも両陣営の権力争いも存在しない。教皇は1人だ」と、イタリアANSA通信にコメントを発信している。
今回のバチカン内の独身制を巡る騒動では、保守派が独身制を擁護する前教皇を巻き込み、フランシスコ教皇に圧力をかけている、といった構図だろう。そして“バチカンのジョージ・クルーニー”は両陣営からの激しいアタックに直面し、困惑している、というのが現実かもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。