大人になってからディズニーの魔法がとけ。「イッツ・ア・スモールワールド」なるものの、欺瞞性、瞞着性に気づいてしまった。所詮、アメリカ中心の世界観ではないか、旧来のヘゲモニー国家のむき出しのエゴイズムではないか、と。
それでも『STAR WARS』などは見ざるを得ないのだが、ぶっちゃけ、ディズニー傘下になってから映像技術は進歩したものの、中身はワンパターンで劣化したと思っている。やや単純化され、奥行きがなくなったのではないか、と。
娘は絶対にディズニーランドには連れていかないつもりだ。彼女は、花やしきとサンリオピューロランドにしか連れていっておりません。もし、行きたいといっても、送迎くらいしかしないつもりである。
さて、娘の人生初の映画館での映画となった『アナ雪2』。シスターフッドの話ともいえるし。居場所の物語でもある。エルサが、次の生き方を見つけるわけだが。生きづらかったんだろうな、今までと思ったり。大人の事情、歴史修正主義もちゃんと描かれていたり。自分とエルサが重なり、複雑な心境になった。
女性の自立の物語とも言える。白馬に乗った王子さまなど信じてはいけない。自ら荒馬に乗り込む覚悟を感じた。
…実は『アナ雪』のBlu-rayもすでに買わされている。一緒に見ざるを得なかった。ありのままで生きることができるのだろうかと、自由な生き方、働き方の罠に気づいている立場からすると複雑な心境になった。ありのままで生きるという言葉に、かつてのフリーター礼賛や、現在のフリーランス推進、ギグ・エコノミーの功罪などを感じてしまった。
ハンスとアナについては、恋愛経験の少ない男女が大学デビューするとどうなるかということについてのケーススタディだと思った次第だ。恋愛に関係なく、普段から人をみる目を養うべきという警鐘を乱打する作品であった。
というわけで、ディズニー映画は苦行プレイだったが、いくつかの気づきを頂いた点には感謝している。炭鉱のカナリヤとして、社会の変化に敏感であること、プロパガンダの危険性を察知する感性と体力が必要だと感じた次第だ。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。