アルプスの小国スイスは欧州でも独自の中立主義を掲げ、直接民主主義を実施、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)には所属せず、世界から政治・宗教で迫害されてきた難民を積極的に受け入れてきた国として有名だ。
スイス国民は自国の国是を誇り、豊かな生活環境を享受してきた。そのスイス国民は今、頭を抱えている。スイス公共ニュース配信サービス「スイスインフォ」(SWI)は12日、「スパイ疑惑、永世中立国スイスに激震」という見出しの記事を配信した。米中央情報局(CIA)と独連邦情報局(BND)が1970年、スイスのツーク州にある暗号機製造メーカー「クリプト社」(CRYPTO)をリヒテンシュタインの財団を隠れ蓑にして買収し、その情報活動のツールに利用してきたことが明らかになったからだ。
以下、SWIの情報に基づき、「ルビコン作戦」と呼ばれた戦後最大の情報スパイ活動をまとめておく。
米紙ワシントン・ポスト、ドイツ公共放送ZDF、そしてスイス公共放送(SRF)が参加した国際報道グループがCIAやBNDの過去の活動を記述した280頁に及ぶ文書を入手、それを分析した結果が11日、報道された。米独情報機関の情報活動は「ルビコン作戦」と呼ばれ、「戦後最も成功したインテリジェンス事業の一つ」(SWI)と位置付けられていたという。
クリプト社は当時、暗号化機器の分野で世界をリードしていた。機密通信が傍受されないよう暗号化する機械だ。その機械に不正デバイスを導入し、その機械を購入した国や企業の暗号情報を解読していたというのだ。厳密にいえば、CIAとBNDの米独情報機関の問題であり、スイスのクリプト社はそのスパイ活動に利用されただけだが、スイス国民にとってショックなニュースだ。スイス企業が米独情報機関のスパイ活動に加担していたのだ。スイス国民が誇る中立主義の国是が脅かされているのだ。
米独情報機関がスイス企業を陰で買収し、不正な暗号デバイスを導入した機械を100カ国以上に販売した。残念ながら、その顧客リストには日本の政府機関も含まれていたという。CIAとBNDは多くの政府機関、軍部、大使館が発信する暗号情報を不正デバイスで入手していたのだ。
SWIによると、機密情報を暗号化する機械は2種類、不正デバイスを挿入された暗号化機械とそうではない普通の機械だ。後者は米独情報機関と密接な関係がある欧州情報機関向けだ。彼らはクリプト社の暗号化機械が米独情報機関によって運営されていたことを知っていたが、不正デバイスで入手した情報を米独情報機関から必要に応じて入手していたこともあって、米独情報機関の不正情報入手を暴露したり、メディアにはリークしてこなかった。
スイス製クリプト社の機械が米独情報機関によって利用されている、といった憶測情報はこれまで流れてきた。スイス連邦政府も薄々、クリプト社が米独情報機関によって操られていることを知っていた。ただし、SWIの問い合わせに、スイス政府や情報機関はノー・コメントを貫いていたという。
SWIによると、「クリプト社製機械は世界中で使われ、特にサウジアラビアやアルゼンチン、イランで多用された。冷戦時代、スイス製といえば、“信頼性が高い”といったトレードマークがあった。米独情報機関はそれを利用して他国の情報を不正デバイスを通じて獲得してきたわけだ。
クリプト社の暗号機を使って成功した情報戦としては、①1978年のキャンプ・デービッド合意、②79年の在イラン米国大使館人質事件、③89年のパナマ侵攻などが挙げられている。
また、1982年のフォークランド紛争では、英国は米独情報機関を通じてアルゼンチン暫定軍事政権の人権侵害に関する情報を入手し、紛争を有利に推し進めたというのだ。
スイス企業クリプト社の暗号機を利用したスパイ活動は、統一ドイツが実現した後、BNDが1993年、CIAが2018年、それぞれ停止している。クリプト社は2018年に分社し、一部事業と名前はスウェーデンのクリプト・インターナショナルに買収された。
米国家安全保障局(NSA)が2013年、メルケル独首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚して、米独間で不協和音が流れたことがあった。ドイツ政府から“同盟国の首相を盗聴するとは”といった批判の声が出たことはまだ記憶に新しい。
その一方、フランス、ドイツなど欧州の情報機関は過去、NSAからテロ情報を入手してイスラム過激派のテロ計画を事前に防止したことがあるなど、米国と欧州諸国の情報機関は密接に連携し、情報を共有してきた経緯がある(「大統領は既にご存知と思いますが」2013年10月29日参考)。
なお、スイス連邦経済省は昨年12月、クリプト・インターナショナルに対する輸出許可の一時停止を決定している。スイス政府は先月15日、「クリプトリークス」に関してワーキンググループを設置し、6月末までに報告書をまとめる予定という。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。