おことわり
この記事は大成功に終わったラグビーワールドカップ2019のあと、「日本のラグビーはどこへ?」という憂国の志士じみた、眉間にシワよる話ではなく、世界各国のラグビー事情を俯瞰して、なにかヒントがあれば、という話です。
ラグビーのプロ化
1995年、アパルトヘイト終結後の南アフリカで開催された第三回のワールドカップ。日本がニュージーランドに145失点という記録的大敗を喫して、長い復活への道のりを歩み始めたり、決勝でそのニュージーランドに勝利して優勝を決めた南アのピナールキャプテンとマンデラ大統領が感動のシーンを演出していた裏方で、それまでアマチュア主義を奉じていたラグビー界に激震が走っていました。
ラグビーのメディア・コンテンツとしての価値を実感しはじめた、ビジネス界やメディア界のリーダーたちが金主となり、スター選手たちと個別にプロ契約を結び、プロ・チームを組成し、プロ・リーグを発足させることを目的に、ラグビーの国際競技連盟であるIRB(現ワールド・ラグビー)とは別にライバル競技団体を発足させようという動きがあったのです。
当時、一介のジュニアチームのコーチから一足飛びにウェールズ協会の会長、そしてIRBの会長に就任していたヴァーノン・ピュー氏は、南ア大会の終了直後、ラグビーのオープン化を宣言。競技のプロ化を容認したのです。
以来四半世紀にわたり、ラグビー強豪国・中堅國は、それぞれに容易ならぬ、さまざまな道を経て、いまだ揺籃期をそうあとにしていないというのが実情です。
フランス
フランスのラグビー・プロ化にあたってリーダーシップを取ったのは、往年の名プレーヤーで代表チームキャプテンだったセルジュ・ブランコ氏。フランスラグビー協会内に、国内エリート・クラブをLNR(Ligue nationale de rugby)として組織立て、その1部リーグをTop14と名称し、プロ・スポーツとしてメディア・コンテンツ化しました。
ブランコ氏は1998〜2008までLNRの会長をつとめます。当初は外国人選手枠制限なし、選手のサラリーキャップ(上限)なしという徹底したレッセフェール(自由放任主義)。各トップクラブには国際的スター選手が集められ、うなぎのぼりの観客動員数と、それに比例した放映権収入で大いに成功をを収めます。
もっとも初めから行きすぎた商業主義に鼻白むラグビーファンもいました。
「行き過ぎ」の最先端をいった一方の雄はパリに本拠地を置くスタッド・フランセ。音楽ビジネスで富を得たマックス・グアヅィーニ氏が1990年代に金とテコを入れ、1部に上昇したクラブですが、「とにかく派手にやれ」ということで、度肝をぬくピンク基調のジャージに、お色気満載のプレ・ゲーム・ショー。所属選手たちのヌード写真集を発売したりとか、とかく話題先行のイメージがあるクラブです。
もう一方は、かつては万年金欠病だったトゥーロン。2000年代になってマンガ・ビジネスで財をなしたムラド・ブジェラル氏が会長に就任し、金にあかせて世界中からスター選手を招集というよりは収集。プロ・ラグビー・チームというよりはマンガの戦隊モノのノリでチーム結成していました。
2016年にはあの五郎丸選手もコレクション入りしてしまった。同じポジションにウェールズ代表のハープペニーとオーストラリア代表のミッチェルがいたのに。
こうした行き過ぎの結果として、リーグで活躍する現役選手のトップ層が海外出身のスター選手で渋滞してしまい、リーグが国内の若手選手の成長の場を提供せず、各トップクラブが代表チームへのプレーヤーの供給源として機能していないことが表面化。また金満クラブの傍若無人が他のクラブの経営を圧迫するとともに、無節操にあつめたスター選手集団が決して強いわけではないことがシーズンを経るごとに分かり始めます。
こうしたことからLNRは2010~2011シーズンからサラリーキャップを導入。またフランス代表資格を持つ選手を一定以上チームにそろえることが規則づけられました。
ブランコ氏の下におけるフランスの「やり過ぎ」は、一見無謀だったかに思えますが、プロ時代のスタート直後にこの「暴走」ダッシュがあったおかげで、総じて英連邦諸国が牛耳るラグビー界において、フランスがポールポジションを獲得したという見方もできます。
ワールド・ラグビーの統計によると、フランスにおけるラグビー競技人口は約54万人で世界1位(日本は約10万人)、ファン人口は約2000万人(日本は約1400万人)。2015年にTop14がフランスのヴィヴェンディ傘下のカナル・プリュスと締結した放映権契約は向こう4年間にわたり毎年7400万ユーロ(約87億円)というものでした。
アクセルを緩めたいまでも、フランスのプロ・リーグが世界のプロ・ラグビー界の先頭を走っていることには変わりはないのです。