著しい難化、京大入試に見る作問の難しさ

物江 潤

これって、差がつくのだろうか。つい先日実施された京都大学の入試問題(理系数学)を解いているうちに、そんな感想が頭をよぎりました。要するに、あまりに難易度が高すぎて、壊滅的な点数しか取れない受験生が続出しただろうと感じたわけです(参考:本年の入試問題)。

京都大学HPより:編集部

案の定、大手予備校の東進ハイスクールは、同入試問題に対して次のようなコメントを発表しています。

昨年度までの標準問題が少なくとも 4問ほどあった面影はどこにもなく、どれも完答が難しい問題が揃っている。今までの練習が反映できそうなものは大問 1, 大問 2(2)ぐらいで、それ以外は部分点を掠め取る方針で闘うしかない。(出来が良くないという意味で)数学で差がつかない、つけられないところまで難易度を引き上げては入試として機能するのか眉をひそめる。

東進ハイスクール『京都大学 総合人間(理系)、教育(理系)、経済(理系)、理、医、薬、工、農前期の問題・解答』

東進ハイスクールのコメントに「標準問題」とあります。ざっくり言ってしまえば、きちんとしたトレーニングを積み重ねれば十分解答可能な問題だということです。やや穿った見方をすると、受験産業によって攻略済みの問題だとも言えます。

そんな攻略済みの問題を出題するのはけしからん。数学に関する資質・能力が十分に計測できないではないか。受験産業によるトレーニングでは太刀打ちできない問題を作ってやろう、と京大側が思ったかどうかは分かりませんが、それがなかなか難しい。東進のコメントにもあるように、そんな問題ばかりを揃えてしまうと難易度が跳ね上がってしまい、往々にして選抜試験として機能しなくなるのです。

毎年こうした問題を京大が出題し続けるのであれば、どうせ数学では差がつかないから、もっと差がつく他教科に多くの勉強時間を振り分けるという戦略が合理的になってしまいますが、そうした状況は京大側も望まないでしょう。

飛び切り優秀な高校生が集う京大入試でさえ、このような状況なのです。他大学で標準問題を全て排して入試をつくってしまえば、どんな状況になるかは火を見るより明らかでしょう。各大学で実施されているペーパーテスト(もちろん記述試験を含みます)の限界が見えてきます。

そういった意味においては、大学入試改革が目指す「多面的・総合的な評価」による選抜は、方向性としては正しいのだと思います。知識や受験テクニックを詰め込むだけの受験勉強を問題視する姿勢も理解できます。

しかし、そのための方策が共通テストでの記述式試験の導入だと言われても、やはり納得できません。先述したとおり、マークシートではなく記述試験だから適切に能力を計測できるという考えは幻想です。選抜試験としての機能を保ちつつ、能力を適切に計測できる問題を作るのは相当難しいわけです。

ただでさえ作問が難しいのに、各大学が実施する記述試験よりも遥かに多くの制約のもと共通テストの記述試験は作成されるのですから、その成果は期待できそうにもありません。共通テストの記述試験を実施するために多くのマンパワーや金を投入するのではなく、それらを各大学に配分し、各大学がより多彩な選抜を自由に実施した方が、「多面的・総合的な評価」に近づくのではないでしょうか。

センター試験や各大学の二次試験を見ると、実によくできた試験のように思えるでしょうし、実際にそうなのでしょう。私自身、高校で実施される定期試験よりも相当練られた問題ばかりだと感じています。しかし、「受験産業や進学校(による攻略ノウハウ)」という補助線を書き込んでみると、素晴らしかったはずの問題が、突如として色あせた無味乾燥なものとなるケースが多々あります。攻略ノウハウを把握したうえでないと、その問題の良し悪しは把握できないわけです。

入試改革も同様です。どれほど素晴らしい改革に見えようとも、受験産業や進学校といった存在により、瞬く間に改革が荒唐無稽なものに様変わりする可能性があるわけです。受験産業が発達した日本ですから、受験産業を深く研究したうえで入試改革をしなくてはなりません。しかし、どうしてなのか、そうした姿がほとんど見られません。次回の入試改革では、きちんと受験産業を研究していただきたいと思います。