緊急事態宣言の発動要件は不明確にならざるを得ない

物江 潤

不明確でないと機能しない

緊急事態宣言の発動要件を、もっと明確にすべきではないかという声があります。

しかし、この発動要件が不明確でなければ、緊急事態宣言は十分に機能しません。

10日の国と地方の協議の場で「緊急事態宣言」を可能にする法改正案の国会提出を報告する安倍首相。同法案は12日に衆院本会議で可決された(官邸サイトより:編集部)

緊急事態に際しての政府の行動のあらゆる場合を完全に記述して、カバーするようなマニュアル型の立法は、不可能です。

政府は、軍と違い、通常の政府機関なので、無制限な包括的授権をすることができない。政府の可能な行動を個別に記述して、行動能力を与えていく形(ポジティブリスト)の法制化になる。この法制化は、ある程度シンプルなものにならざるをえないので、実際の緊急事態は「想定外」の要因を含むことになるでしょう。

つまり、緊急権の規定や緊急法制は、実際の緊急時には不十分なものである。その条文や規定に縛られてしまうと、政府は不十分な行動しかできなくなるのです。

(橋爪大三郎著「国家緊急権」NHK出版、2014年)

緊急事態故に、あらゆる想定外が生じます。仮に徹頭徹尾、発動要件を含めた内容を明確にしたら、緊急時に想定されるだろう想定外の出来事に対応できず、緊急事態宣言は十分に機能しません。だから、発動要件は不明確にせざるを得ないわけです。

歴史法廷の被告に立つという認識を持ってもらうことが重要

他方、緊急権の規定や緊急法制を整備しないという選択もあります。緊急事態に即した超法規的措置を含む行動を迅速に取り、結果については事後的に評価するわけです。

中曾根康弘元総理の著書に『自省録―歴史法廷の被告として―』がありますが、緊急事態に際し超法規的措置を取った政治家は「歴史法廷の被告」として裁かれることになります。また、超法規的措置を取らなかった場合にも、取らなかったという行動に対して裁きを受けます。そのなかでも、超法規的措置を取らなかったために被害が甚大になった可能性がある場合には、厳しい目が向けられるでしょう。

要するに、緊急事態が生じた時点で「歴史法廷の被告」になるわけですから、超法規的措置の実施/不実施の判断を含めた適切と思しき行動を取ることが、被告人(となる政治家)にとって合理的です。緊急事態宣言を不適切に運用したケース、緊急時に必要な超法規的措置を取らなかったケースの双方にて、歴史法廷において半永久的に厳しい裁定がなされ続けることを政治家が認識できれば、緊急事態宣言は、ある程度は適切になされるはずです。

緊急事態宣言の悪用を防ぎたいと考える方と、法にとらわれず超法規的措置を取ってほしいと考える方は、往々にして考え方が真逆であり主張は平行線を辿るでしょう。しかし、「緊急時に際し、政治家は歴史法廷の被告となる」という認識を政治家に持ってもらうことは、双方にとって利益であるはず。そして、またそう遠くない将来、今回と同じような緊急事態が生じるでしょう。

だから、ここで私たちがするべきことは、歴史法廷にて政治家を裁く側としての適切な振る舞いです。その振る舞いを通じ、「緊急時においては、否応なしに政治家は歴史法廷の被告になる」という認識を政治家と国民が共有できるようにするわけです。

適切な振る舞いのキーワードは、「目をつぶるとき」と「目を見開くとき」の切り替えです。緊急時の今は、やや非合理的に見えたり不手際に見えたりする部分について、ある程度は目をつぶります。そうでないと、政治家が適切且つ迅速な行動が取れません。

目をつぶった分だけ、平時になったら目を見開きます。緊急時には困難だった科学的エビデンスの裏付けを含め、冷静且つ長期的に裁定をしていけばよいわけです。この裁定が感情的だったりポピュリズム的であったりすればするほど、それに見合った行動を政治家は緊急時に取ることとなります。緊急時における政治家の行動は、私たち国民の裁定の質にかかっているわけです。