新型肺炎が世界的に広がるなか、昨今のオリパラが開催できるかのような政治家の話しっぷりに呆れ果てる。国内では多くのイベントや大会が「安全を確保することが困難だ」「感染症対策をすることは難しい」「クラスター感染が発生した」との理由から、延期や中止に追い込まれている。その寄る辺とすのが安倍総理の“お願い”の数々ではなかったか。(以下、傍線筆者)
新型コロナウイルスの感染の拡大を防ぐためには、今が重要な時期であり、国民や事業主の皆様方のご協力をお願いいたします。
イベント等の主催者においては、感染拡大の防止という観点から、感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の必要性を改めて検討していただくようお願いします。なお、イベント等の開催については、現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません。
政府といたしましては、この1、2週間が感染拡大防止に極めて重要であることを踏まえ、多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします。
3月19日を目途に、これまでの対策の効果について判断が示される予定です。
政府としては、先般決定された基本方針において、イベントの開催の必要性について主催者等に検討をお願いし、またそれを踏まえて、全国規模のイベントについては中止、延期、規模縮小等の対応を要請したところですが、専門家会議の判断が示されるまでの間、今後概ね10日間程度はこれまでの取組を継続いただくよう御協力をお願い申し上げます。
憲政史上最長の在職日数といわれる安部総理であるが、非常時だからといって強権をみせつけない低姿勢に深謀遠慮がみえ、一国の総理として妥当な政治判断だったといえよう。
だが、次の発言はどうだろうか?共同通信記者の質問に答えた。
延長や中止については、首脳会談では一切、話題にはなっていないということでありますが、いずれにせよ、今後ともIOCともよく連携をしながら、また、当然、IOCもWHOと緊密に連携をしているわけでありますから、我々としては、とにかくこの感染拡大を乗り越えて、オリンピックを無事、予定どおり開催したいと考えています。
そして16日、G7議長国である米国の呼びかけに応じ、安倍総理はTV会議でこう発言した。
東京オリンピック・パラリンピックについて、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形で実施したい。
ちょっと待った。少し冷静になったほうがいい。
「戦闘は錯誤の連続であり、より少なく誤りをおかしたほうに好ましい帰結をもたらす。戦場において不断の錯誤に直面する作戦部隊は、どのようなコンティンジェンシー・プランを持っているかということ、ならびにその作戦遂行に際して当初の企図と実際のパフォーマンスとのギャップをどこまで小さくすることができるかによって成否がわかれる。」
(『失敗の本質』中公文庫)
安倍総理は、新型肺炎が発生してから後手後手の対策を打ち出したが、良く言えば「錯誤の連続」を最小限に抑え、日本国内の大規模感染を防いできたといえる。
ところが今回の記者会見でも、人類を脅威に陥れる新型肺炎拡大阻止のためのContingency planは示さないまま、「とにかくこの感染拡大を乗り越えて、オリンピックを無事、予定どおり開催したい」と強調した。
日本国民がどうなるか?世界的な感染拡大はどうなるか?という結果ではなく、「東京招致が決定した段階から全力を挙げてきた」「感動を与える大会となるように日本全体ワンチームとなって力を尽くしてきた」と動機や敢闘精神を重んじる動きは、いつか来た道を彷彿とさせる。
失敗が明確になっても撤退が難しい空気に抗しきれずにいる。指導者がこのような空気に支配されたまま国家の重大政策を遂行する結果、どんな敵が待ち構え、国民が痛い思い、悔しい思い、悲しい思いをするか――。わたしたちは警戒心を強める必要があるだろう。
小池知事の発言はどうか。機を見るに敏、人気を博し誕生した都政である。真っ向から反対論をぶつけるのは難しいだろう。「中止はあり得ない。無観客もあり得ない」(3月14日)と述べたが、新型肺炎拡大阻止のための必要かつ具体的なContingency planを示していない。
街からは使い捨てマスク、アルコール消毒液、除菌スプレー、トイレットペーパーが消え、幼稚園保育園や医療介護の現場では在庫が切れたあとどうなるのかと心配の声が上がっている。金融危機を防ごうと各国政府は介入を試みるが、景気の行方は不透明なままである。こうしたなか東京都が率先すべきことは何か?オリパラの開催なのか?
防衛大臣の経験もある小池知事は『失敗の本質』の裏表紙にコメントを寄せている。しかし見えざる敵との長い戦に備え始めようとしているとき、指導者がシガラミに靠れかかり、なおも市民に負担を強いようとしている。
世界的な感染地域の拡大と死亡者の数は増え続け、その勢いはとどまるところをしらない。中国をはじめ「防疫」に一応成功した国が案の定、浮かれ騒いでいるが、次に考えるのは「致死率の高いウィルスに突然変異する前に、世界は流行を押さえ込めるか」である。
危機管理や警戒レベルを高めこそすれ、油断させてはならないときに「中止はあり得ない。無観客もあり得ない」などと述べるのは、指導者失格の謗りを免れない。オリパラを「感染の祭典」と化すだけだ。国民と乖離した言動が戦中の指導者に重なってみえる。
大胆に延期又は中止の宣言を打ち出し、損害を最小限に抑え、またそれらを取り戻すべく組織をまとめ知恵を出させる。世界が協調し、感染拡大、景気悪化、金融危機を乗り越え、感染の収束と景気回復がみえたとき、日本は世界の人々に感動を与えられるよう全力を尽くそう――。
今日の指導者に必要なのは、こうした言動ではなかろうか。
(参考)
- 日本人論の名著『「空気」の研究』が教える同調圧力に押し潰されない4つの方法|鈴木博毅(AERA dot.)
- 中国に弱腰のWHO 新型コロナ「パンデミック宣言」の不都合な真実|末家覚三(文春オンライン)
半場 憲二(はんばけんじ)日本語教師